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トンカチを持って旅に出よう [医学・医療・雑感小文]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(16)

トンカチを持って旅に出よう 


五月の声をきくと、きまって一度は思い出す詩がある。


ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。


―という、余りにも有名なスタンザではじまる萩原朔太郎の詩『旅上』である。


汽車が山道をゆくとき

みずいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。


―どうですか。じつに旅情しきりにそそられるようではありませんか。

詩人は新しい背広を着て、どうやら夜汽車に乗ったものであるらしいが、新刊のある雑誌をみると、旅行評論家とかいうひとが、旅行鞄の中にビニールの風呂敷を忘れないで入れておこう、となにやら世帯染みたような、タメになる知識を教えてくれている。

旅先で洗った生乾きのサルマタなんかを包んだり、山の辺の道などで行き会った女性と意気投合するようなことでもあったら敷物がわりに用いるもよし、にわか雨にふられたら応急の雨合羽にもなる・・・というのである。

先年物故された作家の舟橋聖一氏は、いつも我が家で用いている枕を持って旅に出た。

枕だけではない。いかなる旅行にも必ずお供をする付き人の大型トランクの中には、寝巻きや下着類と一緒に、先生が毎朝召し上がる鶏卵が1日1個のわりで旅行日数分だけきちんと収められていた。

そればかりか、ご愛飲の「バヤリース・オレンジ」の瓶が、これまた旅行日数に見合う本数だけ詰め込まれていたそうだ。

もっとも、この話は伝聞だから真偽のほどは保証しない。

伝聞ではなくて、ご本人の口からじかにうかがった話では、歴史学者の樋口清之先生のカナヅチの一件がある。

泊まりがけの旅に出かけるとき、樋口先生のボストンバッグの底には必ず日夜ご愛用のカナヅチが一丁入っている、

しかし、行先が奈良の場合だけは入っていない。

そこの定宿には以前から同型の一丁を預けてあるからだ。

いったい、カナヅチを何に用いるのか。

老化した石頭をたたく、などと失礼な想像をしてはいけない。

毎晩寝る前に足の裏をカナヅチでたたくのが、樋口先生の60年来変わらぬ習慣で、唯一の健康法である。

寝床の上にあぐらをかき、足の裏の土踏まずのところを、カナヅチでトントン…と10分間ぐらい両足交互にたたく。

そうすると、ポーッと足が温くなってそのあと熟睡できる。

カゼ気味のときなど、いつもより念入りに時間をかけてたたくと、ちょうど熱い風呂に入って汗を出すのと同じ効果があるそうだ。

また、食べ過ぎで腹が張っているときも、これをやるとスッとらくになる。

足の裏をたたくと、その響きが内臓に伝わって腸の蠕動運動が促されるような気がする。

樋口先生はそう言っておられた。

鍼灸の専門家にきくと、それは十分理由のあることなのだそうだ。

足の裏の土踏まずのヘリには湧泉というツボがあって、これはその名のとおり生命の泉を湧き起こすツボなのだそうだ。

湧泉を刺激すると、全身皮膚や筋肉、靭帯(関節を結び付けている弾力性のあるひもや帯状の組織)など体の軟部組織の血液循環をよくて、その柔軟性、弾力性を保たせ、体の運動機能をさかんにする。

結果、全身の血液循環がよくなって、高血圧の人の血圧が下がることもある。

当然、内臓の働きもよくなるから、毎日習慣的につづけていると元気な体を保つのに効果がある、という。

1秒間に2回程度の速さで、リズムカルに、心地よい痛みを感じるくらいの強さでたたく。

就寝前のほか、思いついたときにも片方を100回ぐらいずつたたく。

もちろんそれより多くてもかまわない。

毎日つづけてやるのが一番いいにきまっているが、疲れて足がだるくて眠れないようなときには即効的な効果がある。

カナヅチがなかったらコーラの空き瓶なんかでも、むろんかまわない。
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眠れ、労働者! [医学・医療・雑感小文]

 日本睡眠調査

寝不足が体によくないのは、誰でも実感的に知っているが、寝過ぎるのも同じようによくない。

短すぎる眠りも、長すぎる眠りも、寿命を短くすると、1960年代後半から言われるようになった。
2003年には、同様の関連性が虚血性心疾患(狭心症、心筋こうそく)との間にもみられると報告された。

さらに最近では肥満高血圧、糖尿病なども、睡眠時間と密接に関連することがわかってきた。

しかし、これらの多くは欧米での研究で、日本人の睡眠時間と生活習慣病の関連性を調べた研究は少なかった。

また、睡眠時間と脂質異常症(血液中の中性脂肪値が高く、善玉コレステロールのHDL値が低い状態)との関連性については、世界的にもよく知られていなかった。

兼板佳孝・日本大学医学部専任講師(当時。現・大分大学医学部公衆衛生・疫学講座教授)らは、日本人の睡眠時間と、虚血性心疾患・脂質異常症との関連性を、

① 男女1062人の地域住民の健診データ 

② 男女3995の全国調査(国民健康栄養調査)データ

③ 地方公務員の男性2万1693人を7年間追跡した職場健診データ

─を解析し、睡眠時間と、虚血性心疾患や脂質異常症との関連性を検討した。

日本人の睡眠時間と生活習慣病について、こうした大規模疫学調査が行われたのは初めてのことだ。

結果、

①地域住民データでは、睡眠時間が6時間未満の人たちと、8時間以上の人たちではHbA1c(過去1~2カ月の血糖の指標値)が高いことがわかった。

②全国データの成人女性では、やはり睡眠時間の短い人と長い人は、中性脂肪が高く、善玉のHDLコレステロールが低いことがわかった。

③職場健診データの追跡研究では、短い睡眠時間が、肥満、高血糖、高トリグリセライド(中性脂肪)血症の危険因子となることがわかった。

夜の目も寝ずに働くと、やせるどころか、かえって太り、糖尿病になりやすい。

眠れ、万国の労働者!
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仕事を「死ごと」にしないで! [医学・医療・雑感小文]

無理と過労

自分でもあきれるくらい仕事がのろい。おまけに怠けぐせもついている。

したがって年中、シメキリという魔物に追われることになり、いよいよ切羽詰まると、おちおち昼寝などしていられない(実は今もそうだ)。

狭苦しい仕事部屋で、もたもたパソコン労働をやっていると半徹夜になり、家の者から「あまり無理しないで…」と言われたりする。

しかし、考えてみるに、人間、生きているということは、無理をするということではないのか。

全く何の無理もしないで生きていくなんて、よほどの「鈍感力」の達人でなければできぬ相談だろう。

仕事には無理がつきものだと思う。

とはいえ、むろんそれにも限度はある。

無理に無理を重ねることを続けていると、その先には「過労死」などという致命的結末が待っている。

「過労死は自己管理の問題」と言った人がいるそうだが、極言すればそのとおりだ。

そのとおりだが、自己管理もへったくれもない状況の中で働いている、働かざるを得ない人があるのも事実だ。

この国はどこか間違っている。おかしい。

 勇気ある休息

過労死。正式な病名ではない。

1970年代の初めから「勤労者の急死」を研究してきた、国立公衆衛生院の上畑鉄之丞・成人病室長(当時)の造語だ。

いまでは「KAROSHI」として外国でも通用している。

『広辞苑』にも1991年の第四版から収載されている。

「仕事のしすぎによる勤労者の急死。一九八〇年代後半から一般化した語」。

発病から死亡までが24時間以内の病死を「突然死(英語ではサドンデス)」というが、過労死は、その原因が過労(蓄積疲労)であること、発症から死亡までを24時間以内に限定しないこと、また、死亡に限らず、重度障害者としての生存者を含む点で、突然死と区別される。

過労死を防ぐために勤労者本人ができることは、疲れたら休む、特に睡眠を十分とるという、この一事につきる。

過労死したほとんどすべての人に共通している事実は、数日以上の睡眠不足である。

過労死すなわち睡眠不足死といってもいい。疲れたら休もう!

勇気を出して休もう!

仕事を「死ごと」にしてはいけない。

(2007年4月、地方新聞各紙に掲載した旧稿です)
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原始的怒り・人間的怒り [医学・医療・雑感小文]

物質的なことば

「一緒に育ち、愛した人を、本当は知らなかったと感じている。

弟は静かで内気で、とけ込むことに苦しんでいた。

このような暴力が引き起こせるとは思ってもみなかった」

2007年4月16日に起きた米バージニア工科大銃乱射事件のチョ・スンヒ容疑者の姉の言葉だ。

外電が伝えた記事を読み、故・浦田卓先生の著書『もっと物質的なことばで』に記されたこんな挿話を思い出した。

1966年8月1日、テキサス大学構内で同様の銃撃事件が発生、15人が死亡、31人が負傷した。

犯人は、だれにも親しまれた学生、チャールズ・ホイットマンで、駆けつけた警官隊に射殺された。

「あんなに快活で優しかった彼が、なぜ?」と理解に苦しむ声が多かったが、死体解剖で、脳の怒りの中枢─扁桃核(へんとうかく)に腫瘍が見つかった。

もしそれがわからなかったら、彼の凶行は、別のもっともらしい理由で説明されただろうと、浦田先生はこう述べている。

「人の異常な行動は、すべてこれを〝もっと物質的なことば〟で説明する努力をすべきだと考える」

 人間の証明

原始的な怒りの中枢は二つあるという。

扁桃核(へんとうかく)と視床下部だ。

どちらも大脳辺縁系(脳幹と大脳新皮質の間にある)の一部だ。

ネコの脳の扁桃核に、細い電極を刺入して電流を通じると、ネコは突発的に怒る。

電流を切ると、たちまち怒りは消える

同じことは視床下部でもみられる。

ラットの視床下部にある種の神経伝達物質を注入すると、ラットはハツカネズミを攻撃して殺すが、神経伝達阻害物質を注入すると、攻撃を中止する。

そうした動物実験で、原始的な怒りの中枢が明らかにされた。

これに対して、人間的な怒りの中枢は大脳の新皮質にある。

大脳新皮質は、大脳の表面の灰白質の部分。

ヒトをヒトとして特徴づける精神作用の場だ

ものごとを総合し、記憶し、伝達し、理解し、判断し、そして創造する。

非人間的な理不尽な言動への怒りはここに発する。

テロや無差別殺人に対して覚える怒りは、人間が人間であることを証明する人間的怒りだ。

「人間の証明」であるこの怒りを結集し、持続しなければならない。
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刺身の買い方 [ヘルシーエッセイ?再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿のリサイクルである。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます

ヘルシーエッセイ(15)

 刺身の買い方 

「青きは鯖の肌にして、黒きは人の心なり」

『人生劇場』の作家、尾崎士郎は、生前、色紙によくこんな文句をかいた。

サバの背の青いのは目で見ればわかるが、人の腹黒いのはそう簡単には見分けられない。

だが、サバにしても、一見、新鮮なもののように見えて内部では腐敗が進んでいるということがよくある。サバの生き腐れ、という。

サバ、イワシ、サンマなどの回遊魚は、海の上層を泳ぎ回り、水圧を強くうけないせいか、肉質がやわらかで、肉質中に多量の水分が含まれている。
だから腐りやすいのだそうだ。なにやら寓意を感じさせる話ではある。

夏場はとくに腐りが早いから、間違ってもサバの刺身など食ってはいけない。

刺身といえば、このごろスーパーなどの鮮魚売り場には、石灰色の発泡スチロールの皿に大根のせん切りなんかとプリ・パッケージされた刺身が、ずらりと並べられてある。

無論よく売れるからそうしているのだろうが、それが売れる理由は、ひとつは調理の手間がかからないこと、もうひとつは骨がないので食べやすく、そして昨今の健康食志向にも合っているからだろう。

なにしろ、家に持ち帰ったらナントカラップの膜をはがして、しょうゆさえあればすぐに食えるのだから即席ラーメンどころの話ではない。

加熱によるビタミンなど栄養素の破壊がないし、肉がちがって動物性脂肪のとりすぎの心配がない点も、刺身のメリットである。

つまり近ごろの刺身ばやりの背景には、不精な主婦と成人病恐怖の亭主のニーズの一致があるといえそうだ。

刺身を買うときの注意について、当家の刺身評論家はこういっている。

① 商品の回転が早い店を選ぶ。包丁を入れてから時間がたった魚、鮮度の落ちた貝は表面が乾燥し、みずみずしさが失われる。身につや、はりがあり切り口が色鮮やかなのがいい。

② 時間がたったものは、マグロだと黒っぽく、ハマチ、カツオは血あいが黒ずむ。イカは透明感のない白さに変わる。

③ 貝は鮮度の見分けがむずかしいうえ、好塩菌(腸炎ビブリオ)が増殖しやすいので、とくに注意が必要。この菌は淡水の中で死滅するので、よく洗うことが大切。

また5度以下の低温でも増殖しにくいので、冷蔵ケースの温度管理がきちんとした店を選ぶことがだいじだ。

カツオのたたきがうまい季節だが、この季節のカツオのはらわたには寄生虫が多くくっついている。

スルメイカやサケなどにも割合多く、どうかすると切り身についてくることもある。

しかし、魚の寄生虫には人体に害を及ぼすものは少ない。

サケの虫などはマイナス20度以下で冷凍すれば死んでしまう。

刺身として売られているのは冷凍品だから心配はいらない。もちろん、煮たり、焼いたりすればもっと大丈夫だ。

気をつけなければいけないのは、マグロ、サメ、カンパチ、イシナギなど大型の魚の肝臓である。

これを食うと、ビタミンAの取り過ぎになり、激しい頭痛、おう吐、発熱を伴い、さらに顔がむくみ、2日目ごろから皮膚がはがれ始める。髪の毛が抜けることもある。

また、アワビやバイガイのわたも、時期によって有毒化することがあるから、いつであれ食べないほうが無難だろう。

サバの話にもどるが、サバ、アジ、イワシ、サンマ、ブリ、マグロ、カツオといった背の青い魚の肉には、エイコサペンタエン酸(EPA)という不飽和脂肪酸が多く含まれている。

EPAは、血液の中で、トロンボキサンA3、プロスタサイクリンと呼ばれる物質を合成する。

前者は血小板を凝集させない作用があり、後者は血栓をとかす働きをもつ。

要するにEPAは血液を固まりにくくし、心筋梗塞や脳卒中を防ぐ効果がある。

諸君、魚を食べよう!
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献血に三徳あり [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(14)

献血に三徳あり

だれでも知っていることだが、女性の平均寿命は男性のそれよりも5年ばかり長い。

つまり女は男よりも長生きする。これは、なぜか?

女のほうがラクしているから。女はバカだから。女はズウズウしいから─というような大胆にして独断的偏見に満ちた理由ならいくらでも挙げられる。

しかし、医学的に説得力のある理由となると、まず、女のほうが男よりも心臓が強くて、脳も強いからである、といわねばならない。

心臓が強いといっても鉄面皮だというのではない。

脳が強いといっても知能が高いという意味ではない。

ここでいう心臓や脳は、言葉の第一義的な意味のそれである。

身体器官の一つとしての心臓や脳である。

それらが、女の場合、男よりもだいぶ丈夫にできている。

なので、女は男よりも長生きできることになっている。そういっていいだろう。

厚生省の人口動態概況をみると、30歳から54歳までに虚血性心疾患(心臓の筋肉への血流が不足するために起こる病気。狭心症や心筋梗塞など)で死亡する女性は、男性のわずか5分の1くらいにすぎない。

同じ年齢層の脳卒中の発生率をみても、女性は男性の3分の1以下である。

虚血性心疾患も脳卒中も、ともに血管の障害によって―もっとハッキリいえば動脈硬化が原因になって―起こる病気である。

こうした病気が、なぜ、男性よりも女性に少ないのか、その有力な理由の一つは、女性ホルモンの一種のエストロゲンに、動脈硬化を抑制する作用があるからだ。

エストロゲンは卵巣でつくられ、排卵や受精に欠かせぬ働きをしているホルモンだが、これが血管の壁を強くしなやかに保ったり、血圧の上昇をおさえたり、HDLコレステロール(動脈硬化を防ぐ善玉コレステロール)をふやしたりする作用をしている。

子を生み、育てるための生理的なしくみが、同時にその母なる体を丈夫に保つ働きをしているわけだ。

第2の理由は、さらにその女性の生理と密接にかかわっている。

つまり女性のあの周期的な子宮出血が、動脈硬化を防ぐうえでとても効果的なものらしい。

この興味深い説は、イギリスのシーリィという心臓病学者によって、権威ある専門誌『アメリカンハート・ジャーナル』に発表された。

シーリィ博士の述べるところによれば、女性の月々の生理による出血は、体内に生じた動脈硬化を促進するような物質を含むもろもろの代謝産物を、体外に排泄する役割を果たしている。

だから毎月の定期便(というような用語はシーリィは使ってないが)がある間は、女性は男性に比べて心臓病にも脳卒中にもなりにくい。

だが閉経後はしだいにその発生率がふえて、70歳ごろにはほとんど男女差がなくなる。

かいつまんでいえば、シーリィ博士はこう指摘している。

実さい、潟血といって、高血圧などのときには血液を抜く治療法があるくらいだから、このシーリィ説の信ぴょう性はかなり高い。一概に否定することはできない、というのが専門家の意見である。

では、生理による周期的な出血のない男性が動脈硬化を防ぐにはどうしたらいいか。

それは定期的に献血をすることだと、専門家はすすめている。

女性の生理による出血量は、個人差や年齢による差もあるが、平均はだいたい35mlくらいだといわれる。

献血の1回分の採血量は200mlか400mlだから、半年か1年に1回献血をすると、女性なみに“潟血”をしたことになる。

ご存じのように献血をすれば血液型はもとより、梅毒反応テストや肝炎ウィルスの保有者かどうかもわかるし、血液中のたんぱく、酵素、コレステロールなどの生化学的検査で、肝臓腎臓の働きに異常はないか、といったこともわかる。

これらの検査を病院で受けると、ざっと1万円はかかるからバカにはならない。無料の血液検査は人助けになって、動脈硬化が防げて、健康状態のチェックができるのだ。

まさに、献血に三徳あり、という所以である。
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還暦待望論  [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(13)

還暦待望論 

ある村に90歳をいくつかこえて元気に働いている老人がいるというので、老年医学の研究者が調査に行った。

老人に会っていろいろ話を聞くと、彼は酒も飲まず、タバコものまず、肉などもあまり食べない、と。

さもありなん! 

深くうなずいたのだが、老人にはさらに3歳年長の兄がいるのだ、という。

「ホウ! そりゃ、お兄さんにもぜひお会いしたいですね」

すると、老人はこたえた。

「兄貴は大酒飲みでね、いまも家で酔っぱらってるから、ここへは来られねえだよ」

─というようなコントを、だいぶ以前に何かで読んだことがある。

これがたんなる笑い話でないことを示す研究を、最近、アメリカの研究者が発表した。

ハーバード大学医学部のローレンス・ブランチ博士らのグループは、1977年にマサチューセッツ州に住む66歳以上の高齢者1235人を対象に、タバコ、酒などの嗜好品、食生活、睡眠などの生活習慣を調べた。

そして、それから4年たった81年に追跡調査したところ、全対象者中317人が死亡していた。

死者、生存者ふくめて、生活習慣と健在・死亡との相関関係を調べたところ、両者とも関連は認められなかった。

酒のみにとくに死亡者が多かったとか、日ごろよく運動する人だけが目立って元気だとか、そういうことはまったくなかった。

唯一の相関関係は、タバコを吸わない女性が長生きしていることだった。

つまり、人間66歳をこえると、あとは何を食おうが、食うまいが、ジョギングなんかしようが、しまいが、もう長生きとはほとんど関係ない。

ブランチ博士は、不健康な暮らしによる影響は、年をとってからではなく青年あるいは中年のときにすでに現れてくるようだ、といっている。

すなわち、酒だのタバコだの、あるいは脂肪だの糖分だの、また睡眠だの運動だの、そういったことに気をつけなければいけないのは、だいたい50歳くらい、もう少し延長しても60歳くらいまでである。

60の坂をこえたらもう酒だって、タバコだってのみ放題、肉でも菓子でも好きなだけ食べてもよろしい。

それでも長生きする人はするし、早く死ぬ人は死ぬ。

―摂生必ずしも長寿とは直結しない、と、ブランチ博士はいっているのである。

酒はほどほどに、タバコはやめる。

腹八分目を守り、早寝早起き、適度の運動、というような不自由な日常が健康的な意味をもつのは、60歳まで。

60になったらもうそんな辛抱生活から解放されて、なんでも自由、お気に召すまま、AS YOU LIKE IT なんである。

ブランチ博士の言葉をパラフレーズすれば、こうなる(のではないか?)。

アア、オレモ早ク60ニナリタイ!

考えてみると、60歳で再び生まれたときの干支にかえり、これを還暦という風習には、たいへん合理的な意味がある。

たいていの人が60歳にもなれば、その子どもたちはまず一人前に成長し、その両親はすでにこの世の人ではないだろう。

子の就職と、親の葬式のどちらもすませて、いわば人間の最小単位の事業をしとげた、その一つの区切りが60歳である。

だから、人間、60までは生きて、働いて、子を育て上げ、親を見送る、義務がある。

アア、オレモナントカ60マデハガンバラネバナラヌ!

そして、60になったら赤い袖無し羽織なんか着て、余禄の人生を気ままに生きることにしよう。

青ヶ島か口永良部島で魚を釣って暮らすのもいいし、ヤキトリ評論家になって、毎晩、屋台から屋台へ渡り歩くフィールド調査に精を出すのもいいだろう。

酔っぱらって行き倒れて、そのまま昇天するなんて、最高だと思う。

しかし、それもこれも60過ぎてのおタノシミである。

60までは、耐エガタキヲ耐エ、忍ビガタキヲ忍ビ、ヤケを起こしてハヤまったことなどせずに、ひたすら生きつづけなければならない。

諸君、おたがいに体をだいじにしよう。

 情けない追記。

この軽薄な駄文を書いた1981年、わたしは48歳だった。

「60」はずっと先の、はたして無事に生きているかどうかもわからない“未来”だった。

だが一生過ぎやすし。

うかうかと日を送り生きてきて、なんと83にもなってしまった。

で、その83歳の現実はどうか。

がんとツンボと極貧の三重苦にあえぐ最低最悪の日々である。

かくすればかくなるものとはつゆ思わず かくなり果てぬ武蔵野の露 

自業自得とはいえ、あまりのことにわれながら笑うしかない。 

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嚙めや、嚙め、嚙め・・・ [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(12)

嚙めや、嚙め、嚙め・・・

いや、どうも“人のウワサも一週間”の当節に、バカに古い話で気が引けますが、昨秋、日本シリーズの第3戦の翌日の新聞に、次のような小さな記事が載っていた。

『1、2戦とふるわなかったテリーが、6回に逆転本塁打。

復調の理由が“素振りとガム”。

宿泊先のホテルはダブルの部屋だが、前の晩ツインの広い部屋に変えてもらい、硬くなったからだをほぐすためにバットをブンブン。

広岡監督から、「気分転換にガムでもかんで試合に出ろ」と言われ、心身ともにリラックスしたところで一発が出た。』(朝日新聞11月1日朝刊)

しかし、その貴重な一打も、9回裏2死からの巨人の逆転サヨナラ劇でフイになったわけだが、それはともかく、あのテリーのガムには、科学的にみても何か意味があったのか、というのが今回のテーマである。

大阪医大眼科の山地良一講師によれば、野球選手が試合中にガムを嚙むのは、眼の調節機能に効果的に作用するので、結構なことだそうだ。

物を嚙む動作のことをチューイングというが、このチューイングのときのあごの運動、あごの骨についている筋肉(骨格筋)の動きが、大脳を刺激して、大脳からの信号が目に送られ、目の前の変化に素早く対応できる態勢がつくられる。

つまり、ガムを嚙みながらバッターボックスに入ったり、守備についたりしていると、反射神経の働きがよくなってバッティングやグラブさばきにいい影響を与えるというのだ。

同じようなことは、車の運転のときに噛むガムについてもいわれている。

5年ほど前のことになるが、交通医学研究財団の研究チームは、車の運転をしながらのガム・チューイングが居眠り防止に役立つことを実験的に証明した。

ガムを嚙むことによる、咬筋という筋肉の動きが大脳に覚醒刺激として働くため、眠気が防ぐのだという。

筋肉の中にも筋紡錘と呼ばれる、2~2.5㍉の大きさは感覚器がたくさんあって、筋肉の働きや動きを克明に大脳に伝える作用をしている。大脳はその刺激を付けて、目覚め、さえてくる。

この筋紡錘は、口のまわりの筋肉や咬筋、手足の筋肉中にとくに多く分布しているから、物をよく噛んだり手足をよく動かしたりすると、大脳が効果的に刺激されて生き生きと目覚める。

物をよく噛み、よく口を動かすことによるこの大脳刺激は。単に居眠り防止に効果的なだけでなく、脳の老化防止にも役立つ―という。

物をよく噛むことの効用は、これだけではない。

物をよく噛むと、唾液の分泌がふえる。その唾液がいかに多くの有益な作用をしているか、ちょっとはかり知れないくらいだ。

唾液には約10種類の酵素、数種類のビタミンやアミノ酸、そしてパロチンというホルモンが含まれている。

それらのさまざまな成分の働きの主なものをみてみると、まず、アミラーゼという酵素は、炭水化物(糖分やでんぷん)の消化を助ける。

カタラーゼ、ペルオキシターゼという酵素には強い毒消し作用があり、おそらく、そうした成分の働きによるものと考えられるが、唾液には発がん物質の毒性を消す作用があることがわかっている。
だから、よく噛めば制ガン効果につながるわけで、今日、がんがふえているのは、現代人には“噛む習慣”が薄れてきたからではないか、という学者もいる。

パロチンが老化を防ぐホルモンであるのは、いまや周知の事実であるから、ものをよく噛むのは若返りにも通じることになる。

また、よく噛んで食べると、食べ過ぎを抑えて、肥満防止に役立つし、唾液の効用もまだいろいろとある。

とにかく、ガムでもスルメでもタクアンでも、食物はなんであれ、よくよく噛んで食べるようにしたいものである。

親のスネ以外のものは・・・。
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人と人の可逆的な関係  [「ヘルシーエッセイ」再録]

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腐れ縁の人間性

ごく単純な例しか知らない。

水を熱すれば蒸気になる。蒸気を冷やすと水になる。

このように状況が逆になると反応も逆行することを“可逆反応”という。

その反対の場合―といっても、適切な知識がないので困るのだが、たとえば、ダイヤモンドに非常な高温を加えると燃えてしまう。

酸素のないところでは真っ黒く、石墨になってしまう(だったかな?)。

要するに、二度と元どおりのものにはならない。

そういう変化を“不可逆変化”という。

ダイヤモンドも石墨も、どちらも純粋な炭素だから、あるいは、石墨をどうにかすれば人工ダイヤができるのかもしれないし、それだとすれば、ダイヤモンドと石墨も“可逆的な関係”にあるといえそうだ。

だが、あいにく、私にはその方面の知識は皆無にひとしい。

したがって、ここまでの記述を科学的に批判されると困ってしまう。

言っていることの大意だけをおくみとりいただきたい。

私はここに人間について、人間と人間との可逆的(あるいは不可逆的)な関係について語りたいと思う。

たとえば―いやに、たとえばの多い文章だが―たとえば、夫婦ゲンカなんてものは、それが決定的な破局へとつながらないかぎり可逆的変化の好例だろう。

フランス小咄にこういうのがある。

再婚をすすめられた若い未亡人が、

「私はあちらの方が弱いので、あまり強い人は困るのです」

「それならピッタリの人がいます。交通事故でその能力をまったく失った男性です」

こういわれて、未亡人は答えた。

「でも、それですと、ケンカをしたとき仲直りするのに困るのではありませんか」

組合って夫婦ゲンカは仲なおり

と古川柳にもあるくらいで、じつに他愛なく“反応が逆行”するのが、夫婦というものである。

親子の関係、兄弟の関係、よい友人関係―すべて可逆的な人間関係の例である。

幾度叱られようが、いさかいをしようが、その関係には終極はない。

なんのかんのといいながら、離れてはまたくっつく可逆反応をくり返しつづけるのが、親と子であり、兄と弟であり、夫と妻であり、友と友であるだろう。

義絶、絶交、離婚・・・などは、人間関係における不可逆的な反応の例であるが、よい親子、よい友人、よい夫婦の間にあっては、そういうことはめったに起こらない。

たとえ一時的に背を向け合うことがあっても、いつかは必ず元の姿に回復するだろう。

なんだか、クサい人生論風になってきたが、自分でもハナをつまみながらもう少しいわせてもらうと、人間と人間との深く、あたたかい、豊かな関係・・・そこにはそれを支える必須の条件としての可逆性がみられるようだ。

もし、人間の幸福というものを測定するいくつかの条件を挙げるとすれば、そのひとつは、その人がどれだけ多くの可逆的な人間関係をもっているか、ということではないだろうか。

腐れ縁というのは案外味のある人間関係ではないのかな。

いつだったか、テレビを見ていたら、元は検事だったという作家がこんなことをいっていた。

「離婚した夫婦は、いろいろその理由を述べるけれども、結局、離婚の最大の原因は、性的不一致です。セックスがうまくいってる夫婦はけっして離婚なんかしませんよ」

とくに耳新しい説ではないが、しかし、どうなんだろう。

性的不一致のために離婚した夫婦のすべてにおいて、結婚の当初からその性的不一致はみられたのだろうか?

いや、はじめは“うまくいっていた”のに、のちにセックスとは直接には関係のない何らかの原因が生じて、それが性生活へも影響を及ぼしたケースが多いのではないだろうか。
たがいに感情の冷えた夫婦の間では性の感覚も味気なくなるのではないだろうか。

同じ酒の味が、ある夜、なぜかひどくまずく感じられることがあるように―。

もっとも、酒のばあい、それっきり飲めなくなるということは、まず、ない。

酒と男の関係こそ、可逆的な関係の最たるものではあるまいか。
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現代家相考 [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます

ヘルシーエッセイ(10)

現代家相考 

友人Tの息子が小学校1年生のとき、下のような作文をかいた。

「ぼくのおとうさん、だいくのくせにじぶんのうちつくらないで、よそのうちばかりつくっている。

ぼくのうちはアパートなんだ。

おとうさんて、どうかしてるな。

どうしてってきいたら、とちがないんだって。しょうがないよね。」

いや、まいったよ、と、Tにその作文を見せられて、目頭がじわっと熱くなった。

父親に寄せる少年の純真な思いに胸を打たれた。

同時に、Tとは別の意味で、こちらも大いに参った。

映画ドラマなどで、屈託のない子役の演技が大人の役者をくってしまうのを、まま見ることがある。

Tの息子の作文にもそんなようなところがある。

短い記述のなかに必要な説明はすべてなされている。

無駄な語句はひとつもなく、素直な情感がしぜんに表れている。

年中、冗漫な雑文をかいてばかりいるぼんくらライターは、まったく降参脱帽したものだった。

それから10年余の歳月が流れて、大工のTが、このほど、自分の家を自分の手で建てた。

多摩兵陵のはずれに拓かれた住宅町の新居を、1本提げて訪ねていった。

大邸宅というのではない。

瀟洒な住まいというのでもない。

しっかりとした造作の、いかにもTの人柄と大工の技量がよく現れた家だった。

「まぁ、家相なんかもいちおうは取り入れてね、図面引いてみたんだけど」。

家相も、人相や手相と同じように、古代中国に生まれた占いの一種で、家の位置・方角・間取りなどあらゆる面から吉凶を判断する。

これが現代の建築学、住居学の立場からみても合理的な正しい指摘であることが多い。

以下、すべてTの話の受け売りだが、たとえば、「離(みなみ)の方位に空地あるは吉相と知るべし(南に空地のある敷地は吉)」という家相の文言は、現代でも敷地の第一条件である。

とはいえ、だれもが南空地の家を持てるわけではない。

家相の本には、

「もし南に空地なきときは、南方に天窓をあけて陽光を受け、これを補うべし」とある。理にかなっている。

家相で最も問題にされるのは例の「鬼門」というやつである。

鬼門は、陰陽道で悪鬼が出入りする口といわれ、この方角(東北)と、裏鬼門(南西)には、便所や浴室をつくってはいけない。

台所が裏鬼門にあるのも大凶、と家相術は教えている。

鬼門―つまり北向きの場所―には秋分から春分までまったく日が当たらない。家中でもっとも寒い。

冬の夜、手洗いに起きて倒れるケースが多からトイレにも暖房を、とはよくいわれることである。

逆に、裏鬼門(南西)のような日当たりのいい場所を便所などにするのはもったいない。

居間、子ども部屋、食堂などに利用すべきだ。

それからまた、窓から日光の入る南西の台所は清潔を保つうえでは満点だが、夏は気温が上がりすぎ、冷蔵庫のなかった昔は、食物がいたみやすかった。

裏鬼門の台所は凶―を、そのように理解すれば、現代の暮らしの知恵としても通用する。

「寝所の辺にかまどを作れば小児にたたるべし」とも家相学にある。

寝室の必要条件の一つは静かさである。

だから家のなかでも、道路や人の動きの多い場所から離れたところに設けたい。

家のなかで人の動きの多い場所というと、居間、食堂、台所などだが、台所はそれに加えて火を扱うし、匂いも発散する。

寝室といちばん離したいところだ。

とくに一日の大半を眠っている乳児の保育には騒音が禁物だ。

「小児にたたる」はそのように解釈したらどうだろう。

家相をいちがいに迷信ときめつけず、そればかりにとらわれることもなく、合理的な柔軟な考え方をしたい―というのが、家作りのプロのTの結論だった。

ともあれ、あの作文を見せられてから10余年、Tは我が家を建て、親思いの息子は大学生になった。

春の一夜、うれしい酒を飲んだ。
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