So-net無料ブログ作成

漢方の風邪薬 [それ、ウソです]

 それ、ウソです(92)    

 漢方の風邪薬

 葛根湯(かっこんとう)。漢方の煎じ薬の一つ。葛根は葛(くず)の根で、それを中心に7種の生薬を調合した。悪寒や肩こりなどに用いる。(「週刊漢字の答え」=毎日新聞2014年12月8日)

 小さいコラムの文章だから説明不足になるのはやむをえない。

 だが、それなら「悪寒や肩こり」ではなく、「風邪や首すじのこりに用いる」としてほしかった。

「悪寒や肩こり」もけっしてウソではないのだが。

漢方の風邪薬といえば、葛根湯。

昔からこれほどよく知られた薬はほかにはない。

しかし、漢方の専門医の処方はそんな単純なものではない。

人それぞれの症状に応じて使い分ける。

葛根湯は、ひき初めの風邪の次のような体質・症状の人に処方される。

① 中等度以上の体力のある人(漢方では「実証」という)。

② 頭痛、悪寒、発熱はあるが、

③ 汗の出る感じはなく、

④ 首の後ろがこっている。

この四つの条件がそろっているときに用いると、ドンピシャリ! 葛根湯のすごさが実感できるはずだ。

その薬効のメカニズムも解明されていて、葛根湯の成分の一つ、麻黄が、風邪のウイルスを食べる細胞「マクロファージ」の働きを活性化するのだという。

では、やや進んだ風邪、汗が出る風邪、たんが出る風邪、のどが痛い風邪、体力が低下した人(「虚証」)の風邪などには、どんな薬が処方されるか? いくつか挙げてみよう。

麻黄湯(まおうとう)

① 比較的ガッチリした体力のある人。

② 頭痛、悪寒、発熱はあるが、

③ 汗は出てなく、

④ 腰や膝などあちこちの関節が痛み、

⑤ ときにはセキが出たり、多少、息苦しかったりする。

葛根湯の症状と似ているが、風邪のためにあちこちの関節が痛むというのが、麻黄湯を用いるポイントだ。

小青竜湯(しょうせいりゅうとう)。

① 体力はありすぎもせず、低下してもいない(「虚実間証」)の人。

② 頭痛、悪寒、発熱があり、

③ 薄いたんが多量に出たり、せき込んだりする。

以上の3処方は、体力が中等度以上ある人にしか使えない。

体力の低下している「虚証」の人の風邪には、桂枝湯(けいしとう)を用いる。

① 頭痛、悪寒、発熱があり、

② じわじわと汗ばみ、

③ 鼻がぐずつき、ときには軽い吐きけがある。

④ 皮膚がヒリヒリする感じ。

とくに「汗ばむ」という症状は、葛根湯や麻黄湯とはハッキリ異なる。

以上は、いわば「ふつうの風邪」だが、ひき初めから「のどがヒリヒリ痛む」「のどがチクチクいたむ」といった咽頭痛がある風邪には、麻黄附子細辛湯(まおうぶしさいしんとう)、麻黄附子甘草湯(まおうぶしかんぞうとう)、桂枝麻黄各半湯(けいしまおうかくはんとう)などを用いる。

さらにこじれた風邪には、この3種の薬のほか桂枝二麻黄一湯(けいしにまおういっとう)、桂枝二越婢一湯(けいしにえっぴいっとう)といった処方が用いられる。

もっとも、そうした風邪はもはや素人の手には負えない。風邪の自己治療は2日まで。

一夜明けても治る気配がなかったり、いきなり発熱、頭痛、腰痛、筋肉・関節痛、倦怠感、鼻水、咽頭痛、咳などが出揃ったら、それは、風邪ではない。インフルエンザだ。即、病院へ!

(株)ORTICのHp「それ、ウソです」を再録。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

白楽天「偕老不易得」 [雑感小文]

白頭何足傷(はくとうなんぞいたむにたらん)

白居易の名詩に感じ入って以来、私は詩中の一句を好んで口にするようになった。

それはおおむね夕べの食卓などでこんなふうに用いる。

「何にもないわ」

「いやいや、何ぞ必ずしも猪羊(ちょよう)を烹(に)ん、だよ」

冗談口の半分以上は本音だ。

「偕老不易得(かいろうは えやすからず)、白頭何足傷(はくとう なんぞいたむにたらん)」

夫婦ともども長生きするのは非常な難事だ。

それを思えば、私の頭が白くなったことなど少しも悲しむ必要はない。

白楽天の悠然閑雅の境地には及ぶべくもないが、私は私なりに自ら足ることを知り、今日ただいまを喜ぶ思いを得たい。

人が己れの境遇に幸せを感じるのは心の持ちようにもよるだろうと思うのだ。

吉川幸次郎編『唐詩選』(筑摩叢書)によれば、白居易は苦学を続けたが、29歳で進士に及第、以後次第に出世、晩年は悠々自適の生活を送った。

頭は禿(は)げず(この点も当方とは異なる)白くなったようだ。よかったナと思う。

「禿頭何足傷(とくとう なんぞいたむにたらん)」では詩情に欠ける。

白楽天「何必烹猪羊」 [雑感小文]

何必烹猪羊(何ぞ必ずしも猪羊を烹ん)

むかし、ある雑誌の仕事で大阪赤十字病院の院長を訪ねたときのこと─。

2階にある院長室への広い階段を上がっていくと、踊り場の壁面に見事な隷書(れいしょ)の額が掲げられてあった。

中唐の詩人、白居易(白楽天)の詩を筆写した書家、花田峰堂氏の作品である。

「睡足肢体暢(ねむりたりてしたいのぶ)、晨起開中堂(あしたにおきてちゅうどうをひらく)─たっぷり眠ったので体がのびやかである。朝早く起きて家の戸を開けた」と始まる詩は、

微風の吹く春の朝、顔を洗い、髪を整え、青葉の茂る庭の木陰で、妻の手づくりのこまごまとした料理を、孫たちに囲まれて楽しく食する場面を描いて、こう続く。

「憶(おもえば)牢巹(ろうきん)を同じうせし初め 家貧にして糟糠(そうこう)を共にせしを 

今食らうこと且如此(かつかくのごとし) 何ぞ必ずしも猪羊(ちょよう)を烹(に)ん。

況(いわ)んや姻族の間を観るに、夫妻半ば存亡す 

偕老(かいろう)は不易得(えやすからず) 白頭何ぞ傷(いた)むに足らん」

思い返すと、結婚したばかりのころは貧乏だったから酒かすやぬかを食べるような生活だった。

いまはこんなうまい食事を楽しくできる。

豚や羊の肉などなくともよい。

まして親類縁者にはつれあいを失った人も多い。

夫婦そろって長生きするのはとても難しいことだ。

私の頭が白くなったことなど少しも悲しむ必要はない。

─というほどの意味だろう。

跋辞(ばつじ)に、

「斎(さい)を畢(おわ)りて素(そ)を開き 食に当りて偶吟(ぐうぎん)し妻弘農郡君に贈る」とある。

食後、絹布をのべて、食事中に想い浮かんだ詩をしたため、妻に贈ったというのである。

人生の幸せ、家庭の幸福、とはこのような情景をいうのだろう。

いたく感じ入り、難しい漢字を間違えないように手帳に写し取った。

家に戻って、わが配偶者にも読ませたいと思った。

白楽天の詩想には及ぶべくもないけれど(と、記すこと自体コッケイだが)、自ら足ることを知り、今日ただいまをよろこぶその心を、われらの思いとすることはできるだろう。

人が自分の生活に幸福を感じるのは心の持ちようにもよるだろう。

そう思ったからである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

首の動脈を切る!? [それ、ウソです]

それ、ウソです(91)

 首の動脈を切る!?

 最初の発作は五年前で、あやうく命を落とすところでした。心筋梗塞を起こしていたのです。救急車で心臓外科のある病院に運ばれ、特別治療室でカテーテル(治療用の細い管)による手術を受けました。首の部分の動脈を切って、心臓の冠動脈までカテーテルを入れ、ニトロの溶液を二四時間流し込んで詰まったものを溶かしました。(『壮快』1996年5月号)

 牛乳にきな粉を溶かす「きな粉ドリンク」の健康効果を称揚する読者の体験談の一節である。

 Kさん(誌面では実名=78歳)は、きな粉ドリンクで狭心症の発作が起こりにくくなったというオドロキの効果を話している。

 ほんとかな? 思わず指先にツバをつけて眉にぬってみたくもなるが、ま、それはこのさいどうでもいいことにしよう。

 どうでもよくないのは、「首の部分の動脈を切って、心臓の冠動脈までカテーテルを入れ…」である。

 首の部分の動脈って、頸動脈だろう。人体の急所ですよ。そんなところを切ったらどうなるか、子どもでもわかることじゃないか。

 これは、首の「動脈」ではなく「静脈」に、「切る」のではなく「針を刺し」、カテーテルを挿入する「スワンガンツカテーテル」のことをいっているのだろう。

 類似の医療行為による事故例がある。

「動脈に傷 患者死亡  北里大学病院(相模原市)で2013年8月、医師が60代の患者の首にカテーテルを通す際に誤って動脈を傷つけるなどして、その後患者が死亡していたことが19日、わかった。病院が発表した。
 ――中略――
 30歳の病棟医と28歳の研修医がカテーテルを首の静脈に挿入する際、準備として試験的に刺す針を過って動脈に2回刺した。―以下略」(朝日新聞2015年1月19日夕刊)。

 針を刺しそこなっただけでもこうなのだ。

 しつこくてわるいけど、「首の動脈を切って…」はいけません。

 スワンガンツカテーテルとは、心筋梗塞や心不全などの患者の心機能を連続的に測定するために使用する医療機器だ。スワン氏とガンツ氏が発明したのでそう呼ばれる。

 首や腕、鎖骨下などの静脈からカテーテルを挿入し、右心(心臓の右側)を経て肺動脈内に留置、肺動脈圧(肺動脈の血圧)や心拍出量(心臓から11分間に拍出される血液の量)などを測定する。

 心血管系疾患の重症患者の術前、術中、そして術後管理になくてはならないモニタリングデバイスとされている。

 心筋梗塞は、冠動脈内での血栓形成(血液の塊ができる)が原因なので、カテーテルを冠動脈内に挿入し、血栓溶解剤のウロキナーゼ(ニトロではない)を注入する方法が行われたこともある。

 現在、心筋梗塞の治療は、心臓カテーテルによる血管内治療(冠動脈インターベンション=PCI)が主流になっている。

 手首、腕、太ももの付け根の動脈からカテーテルを挿入し、冠動脈の狭窄部分を確認、血管が詰まっていたら、ただちに血栓で詰まった血管を開く治療を始める。

 PCIには、最初に開発されたバルーン拡張術(カテーテルの先端についた風船をふくらませて血管を拡張する方法)や、動脈硬化切除術(血管の中にたまったアテロームをレーザーなどで削り取る方法)などがあるが、いま最も普及しているのは、血管の狭窄部分に金網状のステント(筒)を置く「冠動脈内ステント留置術」である。

 ある日突然、激しい胸の痛みを感じたら、一刻も早く病院へ! 

 生きて病院にたどり着けさえすれば、心筋梗塞の95%は命が助かる。

(株)ORTIC のHp「それ、ウソです」を再録。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

酒に関する雑考 [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(19)

酒に関する雑考

兼好法師という人は、よくよく酒嫌いだったに違いない。

『徒然草』を開いてみると、

「友とするにわろき者」の一は、「酒を好む人」であり、また別の段にはえんえんと酒の悪口を書きつらねて、「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ」ときめつけている。

まあ、そう指弾されても仕方のないようなところが、酒―というよりは、酒を好む人の一部(例外的一部) ―にあるのは確かなことだ。

ついでながら、酒は百薬の長という成句の出典は『前漢書』の「食貨志」だとかで、その原文は、

「それ、塩食は肴の将、酒は百薬の長なり」というものだそうだが、酒はともかく、塩食(食塩のとり過ぎ)が、高血圧の原因をつくる“百毒の長”であるのは、いまや常識である。

古言を現代の目で見直すと問題がある例の一つだろう。

(注・前漢書=中国の正史の一。食貨志=食と貨幣についての章)

ま、しかし、なんのかのといっても、酒が男の人生に不可欠のものであるのは、厚生省の「日本人の心の健康調査」をみても明らかである。

それによれば、男性のストレス解消法の第1位は「酒」で、女性のそれは「おしゃべり」である。

例の酒嫌いの法師でさえ、

「近づかまほしき人の、上戸にてひしひしと馴れぬる、またうれし」(かねて近づきになりたいと思っていた人が上戸で、酒を酌み交わし、急に親密に打ちとけるのは、うれしいことである)─と、酒の効用の一面を認めているくらいだ。

男と女が惚れあったら、抱き合うなり、なんなりしたらよろしいが、男心に男が惚れたからって、そんなことするのはバッチイから、かわりに酒を酌み交わす。

酒は男と男のセックスである。

だから、飲み過ぎてはならぬとわかっていても、つい飲み過ぎてしまう愉快な酒があり、またときには無理しても飲まねばならぬつらい酒もある。

そこで、です。

酒は飲んでも、悪酔い、二日酔いはしたくない、という通俗的柔弱な健康志向をおもちの諸兄に、京都府立医大の研究報告をゴ紹介しよう。

昔から酔いざましには柿がよいといわれているが、そのことを科学的に証明するために、京都府立医大の小方重男教授らは、ウサギを使って対照実験をした。

ウサギを二つのグループにわけて、一つのグループには柿の実のジュース(熟した富有柿を果皮ごとすりつぶしてガーゼでしぼった液)を、別のグループには砂糖水(柿の実ジュースと同量の糖分を含有)を飲ませ、その前後に10%濃度のアルコールを飲ませた。

そして、ウサギの血液の中の、アルコールやアセトアルデヒト(体内でアルコールが変化した有害な物質)の濃度の移り変わりを調べた。

すると、柿の実のジュースを、アルコールよりも30分前に飲ませたグループでは、血中のアルコールやアセトアルデヒドのふえ方が少なく、またそれが消失する時間も早かった。

つまり、酔い方が軽くて、早くさめた。

ところが、アルコールを飲ませて60分後に柿の実ジュースを与えたグループでは、同じ条件で砂糖水を与えたグループとの差が、ほとんど見られなかった。

このことから、悪酔い防止の目的で柿を食べるのなら、酒を飲んでからよりも、飲む前のほうが効果的だということがわかった。

なぜ、柿にそんな効果があるのか?

それは柿に含まれているタンニンによるアルコール吸収抑制と、ビタミンB2、ビタミンC、糖類によるアルコールの代謝促進のせいである。
それなら、お茶、コーヒー、ココア、あるいはミカン、リンゴ、レモンなどにも、ほぼ同様の物質が含まれているのだから、同じような効果が期待できるはずだ。

悪酔い・二日酔い防止には、酒を飲む前にミカンを食べて、酒のあとでお茶を飲むこと―おタメシください。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

ゆっくり楽しくエイジング [医学・医療・雑感小文]

 平成養生訓27  

ゆっくり楽しくエイジング

新世紀とともにアメリカから渡ってきた「アンチ・エイジング」─日本語でいえば「抗加齢」「抗老化」です。

「しかしそれは時計の針を止めるのではなく、針を少し戻して、その進みを遅らせることです」

 と、NPOアンチエイジングネットワーク理事長の塩谷信幸・北里大学名誉教授は話しています。

「たとえば、美容外科的治療による肌の若返りは、外部から皮膚そのものをケアして〈針を戻す〉方法です。

サプリメントやホルモン補充療法などは、内部から全身的に若返りを図ることで〈針の進みを遅らせる〉のです」

でも、「アンチ」とか「抗」とかいえば、語感が尖(とが)ってしまい、加齢を悪ときめつけ、抗い、逆らうニュアンスが感じられます。

 それではいけない。

「年をとるのは、誰もが避けられない。年に抗うのではなく、ゆっくり上手に年を重ねていきたい」

 と、「スロー・エイジング」を提唱するのは成人医学の専門家、栗原毅・栗原クリニック東京・日本橋院長(慶応大学医学部特任教授)です。

そこへ、老化を否定せず、そっくりそのまま受け入れようという「ウイズ・エイジング(老化とともに)」を主張する人が現れました。

鳥羽研二・杏林大学医学部教授(高齢医学)です。

「年をとると、肉体的にも精神的にも個人差が大きくなるが、いいものも悪いものも含めて、その人なりの老化を個性にしたい。

老化現象をむやみに嫌ったり落胆したりせず、目を背けたりもしない。

どんな老化現象にもそっと寄り添い、生活上の不自由さがなるべく生じないよう知恵を絞る。たとえ認知症や寝たきりになっても、その人らしさを保つ工夫をしたい」

 と、説いています。

さらにもう一つ、「ウエル・エイジング」。

日本ウエルエージング協会が推進する運動で、その提言はこうです。

「当協会の設立は1981年ですが、前身の日本寿齢科学協会が発足したのは1953年。

日本でもっとも古い高齢問題に取り組む国連広報局承認のNGO(非政府組織)です。

高齢者は経験と技術、さらに英知をもつ社会の貴重な資産です。

高い生活の質(QOL)を保ち、社会貢献を続けながら天寿を全うできるウエルエージング実現のため、すべての年代、すべての分野の人々とともに努力を続けてまいります」

 ─さて、アンチ、スロー、ウイズ、ウエル。あなたはどのエイジングを選びますか?

私は、ゼイタクを言わせてもらえるなら、自分流の楽しい健康づくりを日常の習慣とする、スローでウエルな明るい長生きができて、おしまいは自然なウイズで終わりたい。

それができたら言うことないなあ…と思います。

自分流の楽しい健康づくり─といっても、別に大したことをやっているわけではありません。

食生活は毎日、朝の青汁入り豆乳と夜の玄米めしを欠かさず、野菜と魚を割合よく食べています。

外に出かける用のない日は、昼間はパソコンでちんたらちんたら作文仕事、合間に少時昼寝、夕方には小一時間の早足歩き(うち後ろ歩き500㍍)、夜はテレビを見たり本を読んだり、ときには手紙など書いたり、夫婦ゲンカをしたりして、夜更けの半身浴(約30分、冬でも顔面から汗がしたたり落ちるまで)のあと就寝─という明け暮れの繰り返しです。

カニは甲羅に似せて穴を掘る。

体も人間も小さい男に似合った生活は、まあこんなものものだろうと自足しています。

あ、長年常用しているサプリメントのことを書き忘れました。

「梅肉黒酢」を朝と夜各2粒、「アサイーベリー」を朝2粒、「コエンザイムQ10AXIS」を毎食後各1粒。旅行のさいも忘れず携帯し、のみ続けています。

それぞれの効果については、新聞のコラムでも報告しましたが、脳のMRI検査を受けたとき、

「高齢者に普通にみられる多発性脳梗塞(脳の微小梗塞)が1個もない。まれにみる若い脳です」と担当医にホメられたのは、梅肉黒酢のおかげ、老眼が軽くなり眼鏡なしで新聞が読めるのは、アサイー効果の証拠、

そして、日々の元気と仕事力はコエンザイムQ10に負うところ大─と信じています。

(株)心美寿有夢のPR誌『絆』29号=2010年5月発行=より再録
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

自分をハゲます記  [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(18)

自分をハゲます記 

このごろ、「ハゲに効く」という育毛剤がずいぶんよく売れているそうだ。

これが10年も前だったら小生も早速薬局へ飛んでいっただろうが、いまやなにをしても手遅れ、とサトってしまったので、「不老林」や「紫電改」あるいは「グローリッチ」とかの話を聞いても、全く、心が動かない。(それにしてはそういう育毛剤の名をよく憶えているものだと自分でも思うが・・・)

ものの本によれば、紀元前1100年のエジプトにもやはり頭髪の過疎化を憂える男たちが多く、カツラが流行したが、同時にライオン、カバ、ワニ、ガチョウ、ヘビ、ヤギの脂肪を同量ずつ混ぜた毛生え薬もつくられたという。

一方、紀元前430年ごろ、ギリシャの女性の間には、局部脱毛の習慣があり、ヒソと石灰を混ぜてペースト状にした脱毛剤が発明された。このほうは、ライオン、カバ、ワに…にくらべると、だいぶえたいもハッキリしているようで、ギリシャ婦人の人気を集めたそうだから、効果もたしかだったのだろう。

それはまぁ、無から有を生じさせるのと、有なるものを無にしようというのでは、問題が本質的にちがう。

後者はたんに物理的あるいは実数的命題であるのに対して、前者はじつに哲学的あるいは虚数的命題であって、つまり脱毛剤の効果はすぐによくわかるが、発毛剤の効果はなかなかわかりにくい。

この点については、「不老林」その他も、古代エジプトの毛生え薬と五十歩百歩(このばあいは、五十本百本というべきか)だろうと思う。

とにかく、いまなおハゲに劇的に効く発毛剤はないのが事実で、ブームの育毛剤で「生えた」半数は、じつは円型脱毛症だったそうだ。円型脱毛症なら放っておいても時期がくれば必ず生えてくるのである。

メーカーの分析でも、ハゲてしまった人よりもこれからハゲる心配の人、いまある毛を守りたい人を対象にしたので育毛剤が売れているのだそうだ。われらはもはや育毛剤メーカーからも見放されてしまったらしいのだ。

しかし、こういったからとて、べつに私は自分のハゲをナゲき悲しんでなんかいるのではない。

私は先年、京都清水寺に大西良慶和上をお訪ねして、そのとき『良慶和上茶寿記念集』という立派なご著書をいただいた。

茶寿とは数え年の108歳のことであるが、その年の春にその年齢を迎えた和上の墨蹟、法話などを収めた自家出版のこの本の中に、次のようなことばが述べられてある。

「男の人はね、頭の毛がなくなって来ても、えらい禿げましたな、というても、そうですな、こんなになりましたというて頭をさわって笑うてすむけれど、女の人はそうはいかん。

髪の毛なんかがなくなってきたら、別の毛を乗せて一本一本大事にする。毛の一本でもおしがるのは女の方になる。男の人でも禿げてきたら一本一本スダレみたいに並べている人もあるけど、それは男の中に女の性分が働いている。

帰途の新幹線の車中でこのくだりを読み、しばらく笑いが止まらなかった。笑って、年来のナヤミが吹ッ切れた気がし、洗面所に行って姑息な“九:一分け”を以前の“七:三分け”に直してきたことを憶えている。あのころはまだそんなヒトマネのできる程度には残っていたのである。

秋が深み木の葉がしきりに落ちることに抜け落ちる髪の毛を、季語で木の葉髪というらしい。

木の葉髪 泣くがいやさに笑ひけり― とは、久保田万太郎の句である。

いま『日本文学全集』の一冊の口絵写真を見ると、なるほど、『大寺学校』の作者の頭髪の密度は、そのような感慨を催させるのにふさわしいものである。

「泣くがいやさにわら」った作家は、30年ほど前のある日、梅原龍三郎邸に招かれ、鮨の赤貝をのどに詰まらせて死んだ。

座敷から便所まで走って、そこで倒れたのだった。

「その場ですぐに吐き出せばいいのにあの人はお体裁屋だから・・・」と奥野信太郎氏がいっていた。

良慶和上のいう「男の中の女の性分」が久保田万太郎を死なせたといえるようだ。

ハゲを恥じるな。赤貝を食うときは気をつけよう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

私はボネリアになりたい  [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ( 17)

私はボネリアになりたい 

しばらく音信のなかった若い友人からハガキをもらった。

「あっ!けっこん しちゃった」。

新聞の見出しのような横書きの大きな文字の下に、どちらもカタカタ名前の職業(たとえばデザイナーとコピーライター)をもっているような感じの青年とギャルが、こちら向きにニッコリ笑った切り抜き写真が印刷されてある。

「あっ!けっこん しちゃった」というのは、そんないかにも当世風のカップルに似つかわしい、しゃれた結婚通知だと思った。

当世風といったが、昨今流行の形式偏重のゲンシュクでコッケイな結婚式に対しては、この結婚通知の発信人たちの意識はむしろ反当世風であるといえる。

そういった「両性の合意にのみ基づく」結婚観もおのずと表れている、これはコピーとして、“コンセプト”のしっかりとした巧いコピーだと思う。

そのうち、「あれッ! りこん しちゃった」てなことにならないように、余計なお世話だろうが、キボウしておきたい。

ところで、話は変わるが、小生が年来ときにふとうらやましく思うことのある夫婦生活に、ボネリアという海産動物のそれがある。

ボネリアは、環形動物イムシ類に属し、日本名をボネリ虫という。梅干ほどの体を海底の泥の中に埋めて、細長い吻を海中にのばし養分をとっている。

といっても、それはボネリアのメスの姿であって、オスはいつもメスの吻の先端に近い咽頭の内面にシラミのようにすがりついている。体長わずか1㍉の顕微鏡的存在にすぎない。

このボネリアは、もともと、生まれたばかりの幼虫時代には性の区別はない。

その中性の幼虫が、海水の中をさまよっているときに、母虫あるいは他のメス虫の吻にとりつくと、その後の成育がさまたげられてオスになる。

一方、世の荒波にもまれながらも自立心を失わず、海底に穴をうがってマイホームをこさえたものが成長してメスになる。

小生がうらやましく思うのは、むろん、ボネリアのオスのほうである。

プランクトンの一種で甲殻類に属するコペポーダやイソポーダのオスは、自分の配偶者であるメスの性器のなかに寄生し、その分泌物で養われている。

これもちょっとわるくないと思う。

自然界にはまだいろいろと羨望の念をそそられる生きものがあって、生まれながらに一戸建住宅の持ち主であるカタツムリもそのひとつであるが、この住宅難知らずの腹足類が雌雄同体であるのもよく知られていることである。

カタツムリは、同じ体の中に卵巣と精巣をもっていて、(別の相手との)交尾によってたがいに精子を交換し、生殖を営む。

ミミズもまた同じしくみの雌雄同体である。

つまり、ミミズだのカタツムリだのにおいては、「女はソンだわ」とか、「男はつらいよ」といった台詞は通用しないわけである。

そうかと思うと、ある種のベラでは10㌢くらいまでの赤色のものがメスで、それより大きい15㌢もある、そして青色のものはみなオスである。

ところが、このメスの赤べらは、1度妊娠して産卵すると、卵巣が退化して精巣に変化してくる。

同時に背の色も赤から青に変わって、体も一回り大きくなる。

すなわちベラの一生は、子ども―メス―オスと、成長の順序がきちんときまっている。

いいかえると、男性優位の序列がゆるぎなく確立されている。

これもたいへん合理的ではないか。

また、カキのなかのある種類のものは、栄養状態によって性の転換が行われる。

栄養がよくて受胎可能なときはメスであり、受胎し、産卵する。

産卵が終わると、栄養状態は極度にわるくなり、このとき、カキはオスに変化する。

栄養不良のオスのカキはせっせと栄養をとる。

だんだん肥えて体調がよくなってくると、またメスに変わって受胎する。

つまり、この種のカキの一生は、苦難のあとには必ず安楽が約束されているのである。

何の因果か、独り、人間のオスだけが生涯不当な苦難を負いつづけねばならない。

しかし、「けっこんしちゃった」のならもう仕方がない。頑張るしかないだろう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

子どもの食事と運動 [医学・医療・雑感小文]

 車の両輪

子どもの肥満、やせについては、食事が問題にされることが多いが、運動を軽視してはいけない。

食事と運動は車の両輪のようなもので、必ず並行して行われなければいけない。

東京都教育庁の調査では、学校以外で運動やスポーツを「毎日している」と「している日が多い」を合わせると、小学生では約60%だが、中学生では約50%だ。

運動をしていない子は、なにをしているのか。

日本学校保健会の児童生徒の健康状態サーベイランス報告書によると、調査前日に学校から帰宅後、テレビ、ビデオ、パソコン、テレビゲームなど室内娯楽で過ごした時間数は、小学生では3時間、中学生では4時間から4時間半だ。

これがいわば常態だから、運動不足と同時に睡眠時間も短くなり、夜型生活の原因になっている。

結果、今の子どもは、昔の子どもに比べて、体格はずっとよくなったが、体力や運動能力はぐんと低下、親の世代と子ども世代の体力格差が生じている。

文部科学省の体力・運動能力調査でハッキリ証明されている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

ヨクタベヨ [医学・医療・雑感小文]

ヨクタベヨ

朝食を食べないと、脳のただ一つのエネルギー源、ブドウ糖が不足する。
すると、脳の摂食中枢が刺激され、落ち着きがなくなり、イライラし、キレやすくなる。学習能力が低下する。

文部科学省は、2008年度全国学力・学習状況調査で、朝食の摂取と学力調査の平均正答率の関係を調べた。毎日朝食を食べている群は、全く食べていない群に比べて正答率が高かったと報告している。 アメリカや中南米諸国でも、家庭の崩壊とか経済的余裕がないため、朝ごはんを食べない子がたくさんいる。

そういう子どもに朝食の給食を行うようにしたら、アカデミックパフォーマンス(学習能力)が向上したという報告が数多くある。

朝食抜きの影響は、頭だけでなく、体にも及ぶ。

朝ごはんをいつも食べている子と、常習的に食べない子に50㍍走をさせると、たとえタイムは同じでも、食べない子のほうが脈拍数が多く(心臓がドキドキし)、運動能力が落ちるという報告がある。

朝食は体のリズムを整え、1日の学習を始めるための絶対条件だ。

「ヨクマナベ ヨクアソベ」。

昔、小学校1年生の教室には、こんな標語の額が掲げられていた。

今はそれに「ヨクタベヨ」を加えねばならない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。