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酒に関する雑考 [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(19)

酒に関する雑考

兼好法師という人は、よくよく酒嫌いだったに違いない。

『徒然草』を開いてみると、

「友とするにわろき者」の一は、「酒を好む人」であり、また別の段にはえんえんと酒の悪口を書きつらねて、「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ」ときめつけている。

まあ、そう指弾されても仕方のないようなところが、酒―というよりは、酒を好む人の一部(例外的一部) ―にあるのは確かなことだ。

ついでながら、酒は百薬の長という成句の出典は『前漢書』の「食貨志」だとかで、その原文は、

「それ、塩食は肴の将、酒は百薬の長なり」というものだそうだが、酒はともかく、塩食(食塩のとり過ぎ)が、高血圧の原因をつくる“百毒の長”であるのは、いまや常識である。

古言を現代の目で見直すと問題がある例の一つだろう。

(注・前漢書=中国の正史の一。食貨志=食と貨幣についての章)

ま、しかし、なんのかのといっても、酒が男の人生に不可欠のものであるのは、厚生省の「日本人の心の健康調査」をみても明らかである。

それによれば、男性のストレス解消法の第1位は「酒」で、女性のそれは「おしゃべり」である。

例の酒嫌いの法師でさえ、

「近づかまほしき人の、上戸にてひしひしと馴れぬる、またうれし」(かねて近づきになりたいと思っていた人が上戸で、酒を酌み交わし、急に親密に打ちとけるのは、うれしいことである)─と、酒の効用の一面を認めているくらいだ。

男と女が惚れあったら、抱き合うなり、なんなりしたらよろしいが、男心に男が惚れたからって、そんなことするのはバッチイから、かわりに酒を酌み交わす。

酒は男と男のセックスである。

だから、飲み過ぎてはならぬとわかっていても、つい飲み過ぎてしまう愉快な酒があり、またときには無理しても飲まねばならぬつらい酒もある。

そこで、です。

酒は飲んでも、悪酔い、二日酔いはしたくない、という通俗的柔弱な健康志向をおもちの諸兄に、京都府立医大の研究報告をゴ紹介しよう。

昔から酔いざましには柿がよいといわれているが、そのことを科学的に証明するために、京都府立医大の小方重男教授らは、ウサギを使って対照実験をした。

ウサギを二つのグループにわけて、一つのグループには柿の実のジュース(熟した富有柿を果皮ごとすりつぶしてガーゼでしぼった液)を、別のグループには砂糖水(柿の実ジュースと同量の糖分を含有)を飲ませ、その前後に10%濃度のアルコールを飲ませた。

そして、ウサギの血液の中の、アルコールやアセトアルデヒト(体内でアルコールが変化した有害な物質)の濃度の移り変わりを調べた。

すると、柿の実のジュースを、アルコールよりも30分前に飲ませたグループでは、血中のアルコールやアセトアルデヒドのふえ方が少なく、またそれが消失する時間も早かった。

つまり、酔い方が軽くて、早くさめた。

ところが、アルコールを飲ませて60分後に柿の実ジュースを与えたグループでは、同じ条件で砂糖水を与えたグループとの差が、ほとんど見られなかった。

このことから、悪酔い防止の目的で柿を食べるのなら、酒を飲んでからよりも、飲む前のほうが効果的だということがわかった。

なぜ、柿にそんな効果があるのか?

それは柿に含まれているタンニンによるアルコール吸収抑制と、ビタミンB2、ビタミンC、糖類によるアルコールの代謝促進のせいである。
それなら、お茶、コーヒー、ココア、あるいはミカン、リンゴ、レモンなどにも、ほぼ同様の物質が含まれているのだから、同じような効果が期待できるはずだ。

悪酔い・二日酔い防止には、酒を飲む前にミカンを食べて、酒のあとでお茶を飲むこと―おタメシください。
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自分をハゲます記  [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(18)

自分をハゲます記 

このごろ、「ハゲに効く」という育毛剤がずいぶんよく売れているそうだ。

これが10年も前だったら小生も早速薬局へ飛んでいっただろうが、いまやなにをしても手遅れ、とサトってしまったので、「不老林」や「紫電改」あるいは「グローリッチ」とかの話を聞いても、全く、心が動かない。(それにしてはそういう育毛剤の名をよく憶えているものだと自分でも思うが・・・)

ものの本によれば、紀元前1100年のエジプトにもやはり頭髪の過疎化を憂える男たちが多く、カツラが流行したが、同時にライオン、カバ、ワニ、ガチョウ、ヘビ、ヤギの脂肪を同量ずつ混ぜた毛生え薬もつくられたという。

一方、紀元前430年ごろ、ギリシャの女性の間には、局部脱毛の習慣があり、ヒソと石灰を混ぜてペースト状にした脱毛剤が発明された。このほうは、ライオン、カバ、ワに…にくらべると、だいぶえたいもハッキリしているようで、ギリシャ婦人の人気を集めたそうだから、効果もたしかだったのだろう。

それはまぁ、無から有を生じさせるのと、有なるものを無にしようというのでは、問題が本質的にちがう。

後者はたんに物理的あるいは実数的命題であるのに対して、前者はじつに哲学的あるいは虚数的命題であって、つまり脱毛剤の効果はすぐによくわかるが、発毛剤の効果はなかなかわかりにくい。

この点については、「不老林」その他も、古代エジプトの毛生え薬と五十歩百歩(このばあいは、五十本百本というべきか)だろうと思う。

とにかく、いまなおハゲに劇的に効く発毛剤はないのが事実で、ブームの育毛剤で「生えた」半数は、じつは円型脱毛症だったそうだ。円型脱毛症なら放っておいても時期がくれば必ず生えてくるのである。

メーカーの分析でも、ハゲてしまった人よりもこれからハゲる心配の人、いまある毛を守りたい人を対象にしたので育毛剤が売れているのだそうだ。われらはもはや育毛剤メーカーからも見放されてしまったらしいのだ。

しかし、こういったからとて、べつに私は自分のハゲをナゲき悲しんでなんかいるのではない。

私は先年、京都清水寺に大西良慶和上をお訪ねして、そのとき『良慶和上茶寿記念集』という立派なご著書をいただいた。

茶寿とは数え年の108歳のことであるが、その年の春にその年齢を迎えた和上の墨蹟、法話などを収めた自家出版のこの本の中に、次のようなことばが述べられてある。

「男の人はね、頭の毛がなくなって来ても、えらい禿げましたな、というても、そうですな、こんなになりましたというて頭をさわって笑うてすむけれど、女の人はそうはいかん。

髪の毛なんかがなくなってきたら、別の毛を乗せて一本一本大事にする。毛の一本でもおしがるのは女の方になる。男の人でも禿げてきたら一本一本スダレみたいに並べている人もあるけど、それは男の中に女の性分が働いている。

帰途の新幹線の車中でこのくだりを読み、しばらく笑いが止まらなかった。笑って、年来のナヤミが吹ッ切れた気がし、洗面所に行って姑息な“九:一分け”を以前の“七:三分け”に直してきたことを憶えている。あのころはまだそんなヒトマネのできる程度には残っていたのである。

秋が深み木の葉がしきりに落ちることに抜け落ちる髪の毛を、季語で木の葉髪というらしい。

木の葉髪 泣くがいやさに笑ひけり― とは、久保田万太郎の句である。

いま『日本文学全集』の一冊の口絵写真を見ると、なるほど、『大寺学校』の作者の頭髪の密度は、そのような感慨を催させるのにふさわしいものである。

「泣くがいやさにわら」った作家は、30年ほど前のある日、梅原龍三郎邸に招かれ、鮨の赤貝をのどに詰まらせて死んだ。

座敷から便所まで走って、そこで倒れたのだった。

「その場ですぐに吐き出せばいいのにあの人はお体裁屋だから・・・」と奥野信太郎氏がいっていた。

良慶和上のいう「男の中の女の性分」が久保田万太郎を死なせたといえるようだ。

ハゲを恥じるな。赤貝を食うときは気をつけよう。
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私はボネリアになりたい  [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
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ヘルシーエッセイ( 17)

私はボネリアになりたい 

しばらく音信のなかった若い友人からハガキをもらった。

「あっ!けっこん しちゃった」。

新聞の見出しのような横書きの大きな文字の下に、どちらもカタカタ名前の職業(たとえばデザイナーとコピーライター)をもっているような感じの青年とギャルが、こちら向きにニッコリ笑った切り抜き写真が印刷されてある。

「あっ!けっこん しちゃった」というのは、そんないかにも当世風のカップルに似つかわしい、しゃれた結婚通知だと思った。

当世風といったが、昨今流行の形式偏重のゲンシュクでコッケイな結婚式に対しては、この結婚通知の発信人たちの意識はむしろ反当世風であるといえる。

そういった「両性の合意にのみ基づく」結婚観もおのずと表れている、これはコピーとして、“コンセプト”のしっかりとした巧いコピーだと思う。

そのうち、「あれッ! りこん しちゃった」てなことにならないように、余計なお世話だろうが、キボウしておきたい。

ところで、話は変わるが、小生が年来ときにふとうらやましく思うことのある夫婦生活に、ボネリアという海産動物のそれがある。

ボネリアは、環形動物イムシ類に属し、日本名をボネリ虫という。梅干ほどの体を海底の泥の中に埋めて、細長い吻を海中にのばし養分をとっている。

といっても、それはボネリアのメスの姿であって、オスはいつもメスの吻の先端に近い咽頭の内面にシラミのようにすがりついている。体長わずか1㍉の顕微鏡的存在にすぎない。

このボネリアは、もともと、生まれたばかりの幼虫時代には性の区別はない。

その中性の幼虫が、海水の中をさまよっているときに、母虫あるいは他のメス虫の吻にとりつくと、その後の成育がさまたげられてオスになる。

一方、世の荒波にもまれながらも自立心を失わず、海底に穴をうがってマイホームをこさえたものが成長してメスになる。

小生がうらやましく思うのは、むろん、ボネリアのオスのほうである。

プランクトンの一種で甲殻類に属するコペポーダやイソポーダのオスは、自分の配偶者であるメスの性器のなかに寄生し、その分泌物で養われている。

これもちょっとわるくないと思う。

自然界にはまだいろいろと羨望の念をそそられる生きものがあって、生まれながらに一戸建住宅の持ち主であるカタツムリもそのひとつであるが、この住宅難知らずの腹足類が雌雄同体であるのもよく知られていることである。

カタツムリは、同じ体の中に卵巣と精巣をもっていて、(別の相手との)交尾によってたがいに精子を交換し、生殖を営む。

ミミズもまた同じしくみの雌雄同体である。

つまり、ミミズだのカタツムリだのにおいては、「女はソンだわ」とか、「男はつらいよ」といった台詞は通用しないわけである。

そうかと思うと、ある種のベラでは10㌢くらいまでの赤色のものがメスで、それより大きい15㌢もある、そして青色のものはみなオスである。

ところが、このメスの赤べらは、1度妊娠して産卵すると、卵巣が退化して精巣に変化してくる。

同時に背の色も赤から青に変わって、体も一回り大きくなる。

すなわちベラの一生は、子ども―メス―オスと、成長の順序がきちんときまっている。

いいかえると、男性優位の序列がゆるぎなく確立されている。

これもたいへん合理的ではないか。

また、カキのなかのある種類のものは、栄養状態によって性の転換が行われる。

栄養がよくて受胎可能なときはメスであり、受胎し、産卵する。

産卵が終わると、栄養状態は極度にわるくなり、このとき、カキはオスに変化する。

栄養不良のオスのカキはせっせと栄養をとる。

だんだん肥えて体調がよくなってくると、またメスに変わって受胎する。

つまり、この種のカキの一生は、苦難のあとには必ず安楽が約束されているのである。

何の因果か、独り、人間のオスだけが生涯不当な苦難を負いつづけねばならない。

しかし、「けっこんしちゃった」のならもう仕方がない。頑張るしかないだろう。
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献血に三徳あり [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(14)

献血に三徳あり

だれでも知っていることだが、女性の平均寿命は男性のそれよりも5年ばかり長い。

つまり女は男よりも長生きする。これは、なぜか?

女のほうがラクしているから。女はバカだから。女はズウズウしいから─というような大胆にして独断的偏見に満ちた理由ならいくらでも挙げられる。

しかし、医学的に説得力のある理由となると、まず、女のほうが男よりも心臓が強くて、脳も強いからである、といわねばならない。

心臓が強いといっても鉄面皮だというのではない。

脳が強いといっても知能が高いという意味ではない。

ここでいう心臓や脳は、言葉の第一義的な意味のそれである。

身体器官の一つとしての心臓や脳である。

それらが、女の場合、男よりもだいぶ丈夫にできている。

なので、女は男よりも長生きできることになっている。そういっていいだろう。

厚生省の人口動態概況をみると、30歳から54歳までに虚血性心疾患(心臓の筋肉への血流が不足するために起こる病気。狭心症や心筋梗塞など)で死亡する女性は、男性のわずか5分の1くらいにすぎない。

同じ年齢層の脳卒中の発生率をみても、女性は男性の3分の1以下である。

虚血性心疾患も脳卒中も、ともに血管の障害によって―もっとハッキリいえば動脈硬化が原因になって―起こる病気である。

こうした病気が、なぜ、男性よりも女性に少ないのか、その有力な理由の一つは、女性ホルモンの一種のエストロゲンに、動脈硬化を抑制する作用があるからだ。

エストロゲンは卵巣でつくられ、排卵や受精に欠かせぬ働きをしているホルモンだが、これが血管の壁を強くしなやかに保ったり、血圧の上昇をおさえたり、HDLコレステロール(動脈硬化を防ぐ善玉コレステロール)をふやしたりする作用をしている。

子を生み、育てるための生理的なしくみが、同時にその母なる体を丈夫に保つ働きをしているわけだ。

第2の理由は、さらにその女性の生理と密接にかかわっている。

つまり女性のあの周期的な子宮出血が、動脈硬化を防ぐうえでとても効果的なものらしい。

この興味深い説は、イギリスのシーリィという心臓病学者によって、権威ある専門誌『アメリカンハート・ジャーナル』に発表された。

シーリィ博士の述べるところによれば、女性の月々の生理による出血は、体内に生じた動脈硬化を促進するような物質を含むもろもろの代謝産物を、体外に排泄する役割を果たしている。

だから毎月の定期便(というような用語はシーリィは使ってないが)がある間は、女性は男性に比べて心臓病にも脳卒中にもなりにくい。

だが閉経後はしだいにその発生率がふえて、70歳ごろにはほとんど男女差がなくなる。

かいつまんでいえば、シーリィ博士はこう指摘している。

実さい、潟血といって、高血圧などのときには血液を抜く治療法があるくらいだから、このシーリィ説の信ぴょう性はかなり高い。一概に否定することはできない、というのが専門家の意見である。

では、生理による周期的な出血のない男性が動脈硬化を防ぐにはどうしたらいいか。

それは定期的に献血をすることだと、専門家はすすめている。

女性の生理による出血量は、個人差や年齢による差もあるが、平均はだいたい35mlくらいだといわれる。

献血の1回分の採血量は200mlか400mlだから、半年か1年に1回献血をすると、女性なみに“潟血”をしたことになる。

ご存じのように献血をすれば血液型はもとより、梅毒反応テストや肝炎ウィルスの保有者かどうかもわかるし、血液中のたんぱく、酵素、コレステロールなどの生化学的検査で、肝臓腎臓の働きに異常はないか、といったこともわかる。

これらの検査を病院で受けると、ざっと1万円はかかるからバカにはならない。無料の血液検査は人助けになって、動脈硬化が防げて、健康状態のチェックができるのだ。

まさに、献血に三徳あり、という所以である。
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還暦待望論  [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(13)

還暦待望論 

ある村に90歳をいくつかこえて元気に働いている老人がいるというので、老年医学の研究者が調査に行った。

老人に会っていろいろ話を聞くと、彼は酒も飲まず、タバコものまず、肉などもあまり食べない、と。

さもありなん! 

深くうなずいたのだが、老人にはさらに3歳年長の兄がいるのだ、という。

「ホウ! そりゃ、お兄さんにもぜひお会いしたいですね」

すると、老人はこたえた。

「兄貴は大酒飲みでね、いまも家で酔っぱらってるから、ここへは来られねえだよ」

─というようなコントを、だいぶ以前に何かで読んだことがある。

これがたんなる笑い話でないことを示す研究を、最近、アメリカの研究者が発表した。

ハーバード大学医学部のローレンス・ブランチ博士らのグループは、1977年にマサチューセッツ州に住む66歳以上の高齢者1235人を対象に、タバコ、酒などの嗜好品、食生活、睡眠などの生活習慣を調べた。

そして、それから4年たった81年に追跡調査したところ、全対象者中317人が死亡していた。

死者、生存者ふくめて、生活習慣と健在・死亡との相関関係を調べたところ、両者とも関連は認められなかった。

酒のみにとくに死亡者が多かったとか、日ごろよく運動する人だけが目立って元気だとか、そういうことはまったくなかった。

唯一の相関関係は、タバコを吸わない女性が長生きしていることだった。

つまり、人間66歳をこえると、あとは何を食おうが、食うまいが、ジョギングなんかしようが、しまいが、もう長生きとはほとんど関係ない。

ブランチ博士は、不健康な暮らしによる影響は、年をとってからではなく青年あるいは中年のときにすでに現れてくるようだ、といっている。

すなわち、酒だのタバコだの、あるいは脂肪だの糖分だの、また睡眠だの運動だの、そういったことに気をつけなければいけないのは、だいたい50歳くらい、もう少し延長しても60歳くらいまでである。

60の坂をこえたらもう酒だって、タバコだってのみ放題、肉でも菓子でも好きなだけ食べてもよろしい。

それでも長生きする人はするし、早く死ぬ人は死ぬ。

―摂生必ずしも長寿とは直結しない、と、ブランチ博士はいっているのである。

酒はほどほどに、タバコはやめる。

腹八分目を守り、早寝早起き、適度の運動、というような不自由な日常が健康的な意味をもつのは、60歳まで。

60になったらもうそんな辛抱生活から解放されて、なんでも自由、お気に召すまま、AS YOU LIKE IT なんである。

ブランチ博士の言葉をパラフレーズすれば、こうなる(のではないか?)。

アア、オレモ早ク60ニナリタイ!

考えてみると、60歳で再び生まれたときの干支にかえり、これを還暦という風習には、たいへん合理的な意味がある。

たいていの人が60歳にもなれば、その子どもたちはまず一人前に成長し、その両親はすでにこの世の人ではないだろう。

子の就職と、親の葬式のどちらもすませて、いわば人間の最小単位の事業をしとげた、その一つの区切りが60歳である。

だから、人間、60までは生きて、働いて、子を育て上げ、親を見送る、義務がある。

アア、オレモナントカ60マデハガンバラネバナラヌ!

そして、60になったら赤い袖無し羽織なんか着て、余禄の人生を気ままに生きることにしよう。

青ヶ島か口永良部島で魚を釣って暮らすのもいいし、ヤキトリ評論家になって、毎晩、屋台から屋台へ渡り歩くフィールド調査に精を出すのもいいだろう。

酔っぱらって行き倒れて、そのまま昇天するなんて、最高だと思う。

しかし、それもこれも60過ぎてのおタノシミである。

60までは、耐エガタキヲ耐エ、忍ビガタキヲ忍ビ、ヤケを起こしてハヤまったことなどせずに、ひたすら生きつづけなければならない。

諸君、おたがいに体をだいじにしよう。

 情けない追記。

この軽薄な駄文を書いた1981年、わたしは48歳だった。

「60」はずっと先の、はたして無事に生きているかどうかもわからない“未来”だった。

だが一生過ぎやすし。

うかうかと日を送り生きてきて、なんと83にもなってしまった。

で、その83歳の現実はどうか。

がんとツンボと極貧の三重苦にあえぐ最低最悪の日々である。

かくすればかくなるものとはつゆ思わず かくなり果てぬ武蔵野の露 

自業自得とはいえ、あまりのことにわれながら笑うしかない。 

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嚙めや、嚙め、嚙め・・・ [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(12)

嚙めや、嚙め、嚙め・・・

いや、どうも“人のウワサも一週間”の当節に、バカに古い話で気が引けますが、昨秋、日本シリーズの第3戦の翌日の新聞に、次のような小さな記事が載っていた。

『1、2戦とふるわなかったテリーが、6回に逆転本塁打。

復調の理由が“素振りとガム”。

宿泊先のホテルはダブルの部屋だが、前の晩ツインの広い部屋に変えてもらい、硬くなったからだをほぐすためにバットをブンブン。

広岡監督から、「気分転換にガムでもかんで試合に出ろ」と言われ、心身ともにリラックスしたところで一発が出た。』(朝日新聞11月1日朝刊)

しかし、その貴重な一打も、9回裏2死からの巨人の逆転サヨナラ劇でフイになったわけだが、それはともかく、あのテリーのガムには、科学的にみても何か意味があったのか、というのが今回のテーマである。

大阪医大眼科の山地良一講師によれば、野球選手が試合中にガムを嚙むのは、眼の調節機能に効果的に作用するので、結構なことだそうだ。

物を嚙む動作のことをチューイングというが、このチューイングのときのあごの運動、あごの骨についている筋肉(骨格筋)の動きが、大脳を刺激して、大脳からの信号が目に送られ、目の前の変化に素早く対応できる態勢がつくられる。

つまり、ガムを嚙みながらバッターボックスに入ったり、守備についたりしていると、反射神経の働きがよくなってバッティングやグラブさばきにいい影響を与えるというのだ。

同じようなことは、車の運転のときに噛むガムについてもいわれている。

5年ほど前のことになるが、交通医学研究財団の研究チームは、車の運転をしながらのガム・チューイングが居眠り防止に役立つことを実験的に証明した。

ガムを嚙むことによる、咬筋という筋肉の動きが大脳に覚醒刺激として働くため、眠気が防ぐのだという。

筋肉の中にも筋紡錘と呼ばれる、2~2.5㍉の大きさは感覚器がたくさんあって、筋肉の働きや動きを克明に大脳に伝える作用をしている。大脳はその刺激を付けて、目覚め、さえてくる。

この筋紡錘は、口のまわりの筋肉や咬筋、手足の筋肉中にとくに多く分布しているから、物をよく噛んだり手足をよく動かしたりすると、大脳が効果的に刺激されて生き生きと目覚める。

物をよく噛み、よく口を動かすことによるこの大脳刺激は。単に居眠り防止に効果的なだけでなく、脳の老化防止にも役立つ―という。

物をよく噛むことの効用は、これだけではない。

物をよく噛むと、唾液の分泌がふえる。その唾液がいかに多くの有益な作用をしているか、ちょっとはかり知れないくらいだ。

唾液には約10種類の酵素、数種類のビタミンやアミノ酸、そしてパロチンというホルモンが含まれている。

それらのさまざまな成分の働きの主なものをみてみると、まず、アミラーゼという酵素は、炭水化物(糖分やでんぷん)の消化を助ける。

カタラーゼ、ペルオキシターゼという酵素には強い毒消し作用があり、おそらく、そうした成分の働きによるものと考えられるが、唾液には発がん物質の毒性を消す作用があることがわかっている。
だから、よく噛めば制ガン効果につながるわけで、今日、がんがふえているのは、現代人には“噛む習慣”が薄れてきたからではないか、という学者もいる。

パロチンが老化を防ぐホルモンであるのは、いまや周知の事実であるから、ものをよく噛むのは若返りにも通じることになる。

また、よく噛んで食べると、食べ過ぎを抑えて、肥満防止に役立つし、唾液の効用もまだいろいろとある。

とにかく、ガムでもスルメでもタクアンでも、食物はなんであれ、よくよく噛んで食べるようにしたいものである。

親のスネ以外のものは・・・。
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人と人の可逆的な関係  [「ヘルシーエッセイ」再録]

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ヘルシーエッセイ(11)

腐れ縁の人間性

ごく単純な例しか知らない。

水を熱すれば蒸気になる。蒸気を冷やすと水になる。

このように状況が逆になると反応も逆行することを“可逆反応”という。

その反対の場合―といっても、適切な知識がないので困るのだが、たとえば、ダイヤモンドに非常な高温を加えると燃えてしまう。

酸素のないところでは真っ黒く、石墨になってしまう(だったかな?)。

要するに、二度と元どおりのものにはならない。

そういう変化を“不可逆変化”という。

ダイヤモンドも石墨も、どちらも純粋な炭素だから、あるいは、石墨をどうにかすれば人工ダイヤができるのかもしれないし、それだとすれば、ダイヤモンドと石墨も“可逆的な関係”にあるといえそうだ。

だが、あいにく、私にはその方面の知識は皆無にひとしい。

したがって、ここまでの記述を科学的に批判されると困ってしまう。

言っていることの大意だけをおくみとりいただきたい。

私はここに人間について、人間と人間との可逆的(あるいは不可逆的)な関係について語りたいと思う。

たとえば―いやに、たとえばの多い文章だが―たとえば、夫婦ゲンカなんてものは、それが決定的な破局へとつながらないかぎり可逆的変化の好例だろう。

フランス小咄にこういうのがある。

再婚をすすめられた若い未亡人が、

「私はあちらの方が弱いので、あまり強い人は困るのです」

「それならピッタリの人がいます。交通事故でその能力をまったく失った男性です」

こういわれて、未亡人は答えた。

「でも、それですと、ケンカをしたとき仲直りするのに困るのではありませんか」

組合って夫婦ゲンカは仲なおり

と古川柳にもあるくらいで、じつに他愛なく“反応が逆行”するのが、夫婦というものである。

親子の関係、兄弟の関係、よい友人関係―すべて可逆的な人間関係の例である。

幾度叱られようが、いさかいをしようが、その関係には終極はない。

なんのかんのといいながら、離れてはまたくっつく可逆反応をくり返しつづけるのが、親と子であり、兄と弟であり、夫と妻であり、友と友であるだろう。

義絶、絶交、離婚・・・などは、人間関係における不可逆的な反応の例であるが、よい親子、よい友人、よい夫婦の間にあっては、そういうことはめったに起こらない。

たとえ一時的に背を向け合うことがあっても、いつかは必ず元の姿に回復するだろう。

なんだか、クサい人生論風になってきたが、自分でもハナをつまみながらもう少しいわせてもらうと、人間と人間との深く、あたたかい、豊かな関係・・・そこにはそれを支える必須の条件としての可逆性がみられるようだ。

もし、人間の幸福というものを測定するいくつかの条件を挙げるとすれば、そのひとつは、その人がどれだけ多くの可逆的な人間関係をもっているか、ということではないだろうか。

腐れ縁というのは案外味のある人間関係ではないのかな。

いつだったか、テレビを見ていたら、元は検事だったという作家がこんなことをいっていた。

「離婚した夫婦は、いろいろその理由を述べるけれども、結局、離婚の最大の原因は、性的不一致です。セックスがうまくいってる夫婦はけっして離婚なんかしませんよ」

とくに耳新しい説ではないが、しかし、どうなんだろう。

性的不一致のために離婚した夫婦のすべてにおいて、結婚の当初からその性的不一致はみられたのだろうか?

いや、はじめは“うまくいっていた”のに、のちにセックスとは直接には関係のない何らかの原因が生じて、それが性生活へも影響を及ぼしたケースが多いのではないだろうか。
たがいに感情の冷えた夫婦の間では性の感覚も味気なくなるのではないだろうか。

同じ酒の味が、ある夜、なぜかひどくまずく感じられることがあるように―。

もっとも、酒のばあい、それっきり飲めなくなるということは、まず、ない。

酒と男の関係こそ、可逆的な関係の最たるものではあるまいか。
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現代家相考 [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます

ヘルシーエッセイ(10)

現代家相考 

友人Tの息子が小学校1年生のとき、下のような作文をかいた。

「ぼくのおとうさん、だいくのくせにじぶんのうちつくらないで、よそのうちばかりつくっている。

ぼくのうちはアパートなんだ。

おとうさんて、どうかしてるな。

どうしてってきいたら、とちがないんだって。しょうがないよね。」

いや、まいったよ、と、Tにその作文を見せられて、目頭がじわっと熱くなった。

父親に寄せる少年の純真な思いに胸を打たれた。

同時に、Tとは別の意味で、こちらも大いに参った。

映画ドラマなどで、屈託のない子役の演技が大人の役者をくってしまうのを、まま見ることがある。

Tの息子の作文にもそんなようなところがある。

短い記述のなかに必要な説明はすべてなされている。

無駄な語句はひとつもなく、素直な情感がしぜんに表れている。

年中、冗漫な雑文をかいてばかりいるぼんくらライターは、まったく降参脱帽したものだった。

それから10年余の歳月が流れて、大工のTが、このほど、自分の家を自分の手で建てた。

多摩兵陵のはずれに拓かれた住宅町の新居を、1本提げて訪ねていった。

大邸宅というのではない。

瀟洒な住まいというのでもない。

しっかりとした造作の、いかにもTの人柄と大工の技量がよく現れた家だった。

「まぁ、家相なんかもいちおうは取り入れてね、図面引いてみたんだけど」。

家相も、人相や手相と同じように、古代中国に生まれた占いの一種で、家の位置・方角・間取りなどあらゆる面から吉凶を判断する。

これが現代の建築学、住居学の立場からみても合理的な正しい指摘であることが多い。

以下、すべてTの話の受け売りだが、たとえば、「離(みなみ)の方位に空地あるは吉相と知るべし(南に空地のある敷地は吉)」という家相の文言は、現代でも敷地の第一条件である。

とはいえ、だれもが南空地の家を持てるわけではない。

家相の本には、

「もし南に空地なきときは、南方に天窓をあけて陽光を受け、これを補うべし」とある。理にかなっている。

家相で最も問題にされるのは例の「鬼門」というやつである。

鬼門は、陰陽道で悪鬼が出入りする口といわれ、この方角(東北)と、裏鬼門(南西)には、便所や浴室をつくってはいけない。

台所が裏鬼門にあるのも大凶、と家相術は教えている。

鬼門―つまり北向きの場所―には秋分から春分までまったく日が当たらない。家中でもっとも寒い。

冬の夜、手洗いに起きて倒れるケースが多からトイレにも暖房を、とはよくいわれることである。

逆に、裏鬼門(南西)のような日当たりのいい場所を便所などにするのはもったいない。

居間、子ども部屋、食堂などに利用すべきだ。

それからまた、窓から日光の入る南西の台所は清潔を保つうえでは満点だが、夏は気温が上がりすぎ、冷蔵庫のなかった昔は、食物がいたみやすかった。

裏鬼門の台所は凶―を、そのように理解すれば、現代の暮らしの知恵としても通用する。

「寝所の辺にかまどを作れば小児にたたるべし」とも家相学にある。

寝室の必要条件の一つは静かさである。

だから家のなかでも、道路や人の動きの多い場所から離れたところに設けたい。

家のなかで人の動きの多い場所というと、居間、食堂、台所などだが、台所はそれに加えて火を扱うし、匂いも発散する。

寝室といちばん離したいところだ。

とくに一日の大半を眠っている乳児の保育には騒音が禁物だ。

「小児にたたる」はそのように解釈したらどうだろう。

家相をいちがいに迷信ときめつけず、そればかりにとらわれることもなく、合理的な柔軟な考え方をしたい―というのが、家作りのプロのTの結論だった。

ともあれ、あの作文を見せられてから10余年、Tは我が家を建て、親思いの息子は大学生になった。

春の一夜、うれしい酒を飲んだ。
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音楽と脳/楽器別性格 [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(9)

音楽家の個性/音楽の効用

「カネを借りるならラッパ吹きに借りろ」と音楽家仲間ではいうそうだ。

どうしてかというと、トランペットみたいに脳天に突き抜けるような音を出す楽器を長年吹きつづけていると、どうしても脳がイカれてしまう。

頭がおかしくなって、気がよくなって、つまりお人よしが揃っているから、カネを借りるならラッパ吹きにかぎる。

すぐ貸してくれて、間違っても催促なんかしない。そのうち忘れてくれるだろう。

むろん冗談だが、しかし、楽器によって性格が変わるのか、性格が楽器を選ぶのか、多分その両方が相互に作用し合うのだろうが、それぞれの楽器ごとにその奏者に共通の性格パターンがみられるのは事実である。

─と、ある音楽関係者が、音楽の秋にさいして、次のような話をしてくれた。

男のピアニストには女性的な性格の持ち主が多い。さらにいえばホモ・サピエンスないしゲイ能関係の人が多い。

ビオラという楽器は、バイオリンとチェロの間に挟まれて、“おいしいメロディー”はみんなほかの楽器にとられてしまうため、しぜん心情的に屈折しがちで、組合つくったり、宿屋のメシがまずいと文句をいったりするのは、たいていビオラ奏者である。

コントラバスときたらあのどでかい図体に似つかわしく、事態はいっそう個性的である。

なにしろ、あの巨漢力士のような鈍重な低音だから受け持つメロディー(それをしもメロディーというならばだが)も単調そのもの。

ベートーベンをやっても、ドミソの3音くらいしか弾かないですむ。

このコントラバスの奏者は、仮にオーケストラの全員が普段着姿で楽器は持たずに集まっていたとしても、知らない人でもすぐに言い当てることができるだろう。

一団の中で最もだらしのない、汚い恰好をしている男性を探し出せば、彼がコントラバス奏者である。

楽屋の便所が30分以上もふさがっているようなときも、コントラバスが入って、なかで本を読んでいるのである。

そのかわり(というのはヘンだが)、コントラバスは気がよくて人の面倒をよく見る、小事にこだわらぬ好人物が多い。

好人物といえば、実際にそうであるかどうかは別として、バリトン歌手がしゃべっているのを聞いていると、その声が高くもなく、低くもなく、中庸を保って、いかにも穏やかな人柄が現れているようで、この人はいい人だなぁ、と感じさせられる。

だいたい、人間は感情のオクターブが高くなると声の音程も高くなる。

ケンカ口論というのは双方、高いキーの声の応酬だが、一方だけが高音で、もう一方は低音というのは、叱責あるいは抗議と、それに対する弁解あるいは陳謝といった関係になる。

声の高低がそのまま人間関係の立場の差を示しているわけで、人間の声のキーが最も高くなるのは子供の泣き声と女性の金切り声である。

だから泣く子と女房のヒステリーには勝てないのである。

もっとも、高い声で叱られると、単に叱られたとしか感じないが、低い声で叱られると諭されたという感じで、このほうが骨身にしみてこたえる場合もある。

第一、二日酔いの頭にキンキンとひびかないだけまだしも助かる。

音楽家の話がどこかへいってしまったが、音楽は医療にもいろいろと利用されている。

精神病やノイローゼの音楽療法はよく知られているが、ある大学の産婦人科では、産婦に対する音楽の効果について調べた。

それによると産婦が強くいきんで分娩をおこなうのに最も効果があったのは、ベートーベンの第五交響曲『運命』の第一楽章だったそうだ。

ペイン・クリニック(痛みの治療)でも、音楽が用いられている。

アメリカの臨床テストでは、ベートーベンの『月光』、ドビュッシーの『月の光』、ワグナーの『夕べの星』などがすぐれた鎮痛作用を示した。

しかし、日本人の場合には、クラシック音楽よりもむしろ演歌や民謡のほうが、痛みをよくいやしてくれる。

なかでベスト1は石川さゆりの歌う『津軽海峡冬景色』だった、と大阪医大麻酔科の兵頭正義教授はいっている。

筆者は目下、アルコールとカラオケ音楽の併用療法の効果を実験中である。
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ヤマイモが効く理由 [「ヘルシーエッセイ」再録]

「One's Life」という健康総合ニュースサイトの片隅の小さな欄に毎週1本、「健康常識ウソホント」というタイトルの拙文を寄稿している。
そこへさらに「ヘルシーエッセイ」なる短文を追加することになった。
だが、こちらは30年以上も前に書いた旧稿の再利用である。
なんだかずいぶん無精なことをしますが、それをさらにここへ再々録させてもらいます。

ヘルシーエッセイ(8)

ヤマイモが効く理由

戦国時代の笑話を集めた『醒睡笑』には、いわゆる恐妻家の話が少なくない。

その一つに、女房に追い出されて庭の隅の山椒の木の陰でふるえている亭主の姿が描かれている。

「同じ逃げるにしても、もう少しマシなところがあるだろうに、あの間抜けが、山椒の根元なんかにしゃがんでるよ」と、女房が縁側から毒づくと、哀れな亭主は答える。

「いや、山椒の木ばかりじゃない。ヤマイモのつるがあるから、それに取りすがっていますよ」

この笑話のあとに、編者の安楽庵策伝は、

「ヤマイモは強精剤としても悪くない。本草(薬用植物)の本をごらん」というコメントをつけている。

ヤマイモだとか、ウナギだとか、ああいうヌルヌル、ネバネバしている食品の強精作用については、昔から一般に盛んに言いふらされている。

また、個人的な体験でもなんだか効いたような気がすることもある。

いったい、あの見るからに効きそうな感じのヌルヌル、ネバネバ物質は何なのか?

そしていかなる有益な働きをするのか。

国立栄養研究所応用食品部の辻啓介室長によれば、あのヌルヌル、ネバネバした粘液物質には、直接的な強精作用はなにもない。

あの粘液物質はムチンといって、たんぱく質と多糖類(ブドウ糖などの単糖類がたくさん結びついたもの)との複合体だが、主成分の多糖類は、食べても体を素通りしてしまう食物繊維だからである。

それなら、あのなんだか効いてくるような気がしたのは、何だったのか?

薬だと信じて飲めば、軽い頭痛の半分ぐらいはメリケン粉でも治るという、例のプラセボ(偽薬)効果のせいだったのか?

むろん、ヤマイモもウナギも、ムチンだけでできているわけではない。

ヤマイモは約70%の水分を除けば、残りの大部分がでんぷん質で、ほかに若干のたんぱく質と、微量栄養素としてリン、カリウムなどのミネラル類をわりあい多く含んでいる。

これに対して、ウナギのほうは、たんぱく質と脂肪がとても多く、ビタミンAが豊富である。

スズメが海中に没してハマグリとなり、ヤマイモが変じてウナギになる、というのは昔の人の言い伝えだが、ヤマイモとウナギの共通点は、あのひょろ長い形状とムチンだけである。

そのムチンだが、ウナギやヤマイモだけでなく、サトイモ、オクラ、ナメコ、根コンブなどにも多くみられる。

近年の研究で、これらの植物性の食品に含まれるヌルヌル物質は、水に溶けるタイプの食物繊維で、体内のコレステロールをへらし、血管の老化を防ぐことがわかってきた。

同じ食物繊維でも、水に溶けない種類のセルロースなどが、未消化物の量を多くし、腸のぜん動をたかめて、便の排泄を促し、腸の中のいろいろなものを押し流す―言い換えると便秘を解消したり、大腸がんを防いだりする―働きをするのに対して、ヤマイモなどの水に溶ける種類の繊維は、いっしょに食べた食品中のコレステロールや胆汁中のコレステロールを吸着して、便として体外に排出する。

当然、それだけ血液中のコレステロールがへってくる。

で、血管の内壁にコレステロールがこびりつくようにたまって起こる動脈硬化を防ぐことができる。

つまり、血管の若さを保つのに効果的である。

長い目でみると、やはり、ヤマイモは、なかなかよく効く強精食品でもあるといえる。

江戸小咄にこんなのがある。

近頃、亭主がめっきり弱くなったので、

女房一計を案じて、晩めしの膳にヤマイモ、ウナギ、生タマゴ・・・効きそうなものをどっさりならべた。

亭主大満悦でそれらを平らげて、さて、床に入ったかと思うと、むっくり起き上がり、

「紙!」

女房、ほくそ笑み、

「紙はあとでいいじゃないの」といえば、

亭主、

「いや、はばかりだ。食いすぎて腹をこわしたらしい」

おあとがよろしいようで―。
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